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Front Interview
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第3話 第4話
Vol.005 株式会社 サンブリッジ 代表取締役社長 兼グループCEO アレン マイナー第1話 基本戦略を見極める
コラム(1) パーソナル・データ(1)
芝刈り賃の相場は1ドル

 僕が人生において一番最初に体験した仕事は、7歳頃の芝刈りです。芝刈りは米国において子供がお小遣いを稼ぐもっともポピュラーな仕事なのです。おもちゃやお菓子がほしければ自分で稼いで買うのが米国の子供にとっては常識です。芝刈り賃の相場は自分の家の庭を刈って1ドルぐらいでした。自分の家だけじゃ足りなくて、隣の家や、500メートル先、1キロ先の家にまで出かけていって「芝を刈ってもいいですか」と営業をするわけです。相場は1ドルですが、丁寧にやってあげると2ドルくれる家もあったりするわけです。そういうところは仲間にも黙っていて、自分一人で黙々と芝を刈っていました。
  そのほかにはレモネードスタンドをやりました。夏になると家の前にレモネードのスタンドを出すのです。1杯5セントで売りに出すのですが、これはなかなか売れなくて、しょうがないので自分で飲んだり、最後は仲間を呼んできて飲んでしまうことが多かったですね。あとは新聞配達をやったりもしました。


君は日本に行く使命があるんだ
 大学はユタ州のプロボ市にあるブリガムヤング大学に進学しました。そして、大学1年の時に宣教師として日本に来ることになったのです。宣教師の派遣先は神様がお決めになるものなので、自分でどこに行きたいという希望を出すことはできないのです。でも心の中では、母が育ったイギリスか、友達がたくさん行っている日本か、マオリ文化のおもしろい話をたくさん聞いていたニュージーランドか。そのどこかに決まればいいなぁと思っていたのです。だから神様が「君は日本に行く使命があるのだ」と告げる手紙が協会本部から届いたときは、本当にうれしかったです。
  日本での着任地は北海道でした。札幌、釧路、旭川にいたのですが、一番長かったのが、9ヵ月間いた留萌という町です。人口3〜4万人の小さな町で、ここに同僚と2人でいたのですが、この町のことはたいへん印象に残っています。そこに住んでいる人と町の雰囲気がとても気に入ったのです。今思い返してみると、外国人宣教師も教会員もほとんどいない町で、自分たちがやらなければ何も始まらないという責任感と使命感のようなものを強く持っていたからかもしれませんね。

東洋学、哲学、コンピュータ学
 宣教師の任務を終えてふたたび米国の大学に戻ってからは、コンピュータサイエンスと東洋学、そして哲学を学びました。哲学はもともと自分が好きで興味があったことでした。一方、コンピュータサイエンスは、自分が社会に出ていくときの実際的な問題として選んだものです。また、大学在学中に、2年間プログラマーのアルバイトをしていたり、大学スポーツの統計をまとめるソフト会社を起業したりこともありました。
  当時アルバイトをしていたライトロンシステムズというコンピュータ会社ではアプリケーションソフトを作るよりも、プログラマー向けの開発ツールを作る方がおもしろくなるのではないかと考えて、そんな業務も始めたり、投資家からお金を集めたりもしました。ところが、ライトロンシステムズは、経営が立ちいかなくなってしまいました。当時はIBMのパソコンが出たばかりの頃でしたし、同社の事業の可能性はとても大きなものだったと思います。働いているみんなも一生懸命でした。でも会社はつぶれてしまったのです。



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