父は札幌で女学校の数学教師をしていました。父の影響からか、昔から本を読んだり勉強することが大好きな子供だったと思います。中学校(旧制)は札幌一中(現札幌南高校)に進みましたが、当時はちょうど太平洋戦争まっただ中。したがってこの頃は、将来どんな職業に就きたいかなどと考えるようなことはなく、「兵隊になって戦争に行って死ぬんだろう」と漠然と考えていました。せいぜい考えたことといえば「兵隊でも一番偉い大将になりたい」という程度でした。これは同世代なら皆同じようなものだったと思います。
ところが中学2年の時、終戦になってしまったわけです。それから時代ががらりと変わりました。まず学校へ行くと、米軍の指導で教科書の国粋主義的な表現を墨で塗りつぶすことから始まりました。この墨塗りをすると教科書のほとんどが塗りつぶされて、読むところがまったく残っていないという状態になりました。
教科書を塗りつぶしたあとは、教師や大人は何も教えてくれなくなりました。学校へ行っても何もすることがなくなってしまったのです。私は仕方がないので父親の書棚にあった数学の専門書を読んだりしていました。幾何や微分積分の問題を、何かパズルを解くような気分でやっていたのを覚えています。 |