中学は、大阪教育大学付属天王寺中学校に進学しました。同校は体育が盛んで入学試験に逆上がりなどの科目があります。ですから入学したら体育系のクラブに入部するのが普通でした。私は担任が柔道部の顧問だったこともあり柔道部に入りました。「柔道は、体が小さくても大きな人を投げられる」と思ったわけです。しかし、すぐ分かったのは、大きい人を投げるには、人より運動神経がよい、腕力が強いなどの前提条件がある、ということでした。同じ条件ですと体も大きく力も強い方が有利です。こちらは、運動神経も力も、特別ではないので、いいことがありませんでした。また、練習で頭をぶつけて家に帰ると痛くて勉強をする気も起こりません。そのため早々に柔道部を辞めました。そういう学校ですから、クラブをやめると、結構居づらいものがありました。成績も良くありませんでした。同級生が135人いましたが100番以下になったこともあります。
子供の頃から囲碁や将棋が好きでした。祖父が、囲碁が強かったので、
家では、囲碁は無条件で奨励という扱いでした。社会人になるとそれが高じて、年収の1カ月分を囲碁に投入した年もありました。碁盤の専門店で話を聞いたりして、碁盤を作る榧(かや・イチイ科カヤ属の常緑針葉樹)のことやゴケのこと、石のことまで詳しくなりました。
麻雀は、大学時代にワンダーフォーゲル部で覚えました。大学3年の頃に、雑誌『プロ麻雀』が主催した「阿佐田哲也杯(現・麻雀王座決定戦)」が始まりました。ベテラン向けは、『近代麻雀』が主催していた「かきぬま王位杯」でしたが、阿佐田杯は若手の登竜門とのふれこみで始まりました。第3期の阿佐田杯準決勝で第5位になりました。決勝にいく次点でしたね。ちょうど、はじめて2、3年で、引きの強い時期でした。同世代には、現在東大出身の麻雀プロとして活躍している井出洋介さんがいました。