小学校3年まで埼玉の大宮(現さいたま市)で育ちました。大宮とはいっても市街地からはずっと外れたところで、とても自然に恵まれた場所でした。学校が終わると毎日友達と「今日は何をやろうか」と話あって、近所の山で秘密基地を作ったり、タケノコを抜いたり、BB弾を撃ちあったりして遊んでいました。
小学校4年からは東京の谷中に移り住みました。祖父が病気で入院したため、祖母の面倒を見るため私達の家族が一緒に住むことにしたのでした。家は日暮里駅のすぐ近くです。東京といってもこのあたりは緑の木々がたくさんありました。当時はファミコンが流行っていましたが、私は家の中にいるよりは外で遊ぶ方が好きでしたから、やはり友達を引き連れては谷中墓地の近くの森に秘密基地を作って遊んでいました。遊びに行く場所や何をするかはたいがい私が率先して決めていました。自他共に認める「番長」でした。
小学校5年の時には「わんぱく相撲」に参加し、地元である台東区の大会を勝ち抜き、都の大会も制して全国大会に出場したのです。私の体格は今と同じで、身長は高いのですが痩せていました。全国大会の会場に行ってみると、集まっているのは小学生なのに明日からでも相撲部屋に入れるのではないかという体格の子供ばかりでした。1回戦はシードされて不戦勝だったのですが、2回戦では体重80キロを越える選手と対戦しアッという間に負けてしまいました。
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