小学1年生の頃には、日本の通貨はどうやって発行量が決まるんだろうなどと考えていたくらい、わりと早熟な方でした。自分で言うのもなんですが、よく勉強する真面目な子供で、小学校高学年のころから官僚になろうと思っていました。父が内務省の役人で警察官僚だったので、国家公務員という存在が身近なものでしたから。
父は子供に背を見せて語るタイプでした。時代も時代でしたし、子供心にも、父が公のために尽くしていることはわかりました。台風の災害救助とか暴力団対策とか巨額の現金強奪事件の捜査とか、各県警の幹部として警察官を動員して指揮を執ったり、治安維持に携わったり。そういう姿を目にしていたので、官僚になろうというのは、自分の中ではごく自然のことでした。
小学生時代は、4回転校しています。警察のキャリア官僚というのは、地方の県警を回りながら、1〜2年で任地が変わる。だから、学校にはなかなか馴染めなかったし、勉強のレベルも教え方も違ったので大変でした。1年生の時は東京・中野で普通の小学校でしたが、2年生で名古屋に行ったら、街の真ん中にある名城小学校というすごい進学校。急にレベルが高くなったけれども、次の札幌では学習進度が遅い、というふうに子供ながら学習面で苦労をしました。成績も上がったり下がったり。ただ、転校を繰り返したことで学習面だけではなく友人との交友関係、方言の違いによるコミュニケーションの難しさなど、異なる環境に適応するため苦労したことで、早い時期から多様性というものは感じ取れるようになったと思います。
役所に入ってからは、中東への赴任をはじめ、いろいろな国で異なるカルチャーを経験する機会がありましたが、カルチャーショックは受けても、それぞれの文化の多様性を受け入れるのも早かった。それは、子供時代の経験が影響していると思います。
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