【森本】 まず、りそなキャピタルの設立の時期と、その当時の周囲の状況やベンチャーキャピタル業界における位置づけなどについてお聞きできればと思います。
【高橋】 設立自体は、1988年3月ですが、3年前の2003年に親会社の銀行統合をきっかけにあさひ銀事業投資株式会社と大和銀企業投資株式会社が統合してできた会社が基本になります。2年半前には、経営陣の入れ替えと経営方針の改革が行われています。りそなグループでりそなキャピタルの社長の公募がありまして、その時に、社長だけでなく、取締役、執行役員も含めて、りそなキャピタルのほとんどの役員が交代いたしました。そのときに、私も応募をいたしまして、競争率は相当高かったようなのですが、私が社長に選出されたというわけです。
【森本】 統合以前と以後ではどのように変わりましたか。
【高橋】 りそなグループのひとつとしての役割を明確にした上で、本格的なベンチャーキャピタル展開をめざす体制に整備しました。1997、1998年くらいまでは、上場というと、20年、30年の歴史をもち、売上も100億円、利益も10億円、20億円といった安定した中堅企業が行うものでした。しかし、1998年のマザーズやナスダックジャパンの設立、ジャスダックの改革で、株式の公開基準が大幅に下げられたことで、新興市場の役割自体が変わり、発展途上のベンチャーの株式公開が容易になるなど環境が大きく変化しました。
【森本】 現在では、創業から2、3年、早い企業では1年で株式公開することも珍しくなくなっています。
【高橋】 今までのように銀行業務の一環とするベンチャーキャピタル事業の展開では、新しい起業支援が不可能になってきていたのです。ベンチャー企業が増えてくる状況にあるのに、そこがエアポケットになってしまうのですね。そのエアポケットを、戦略的にりそなキャピタルが埋めていこうという狙いをもっています。りそなキャピタルがベンチャーに対して先に投資を行って、その企業が大きくなれば銀行に紹介していく流れをつくる、銀行の補完的ポジションからフロントポジションへと転換させたことが大きな変化といえます。
【森本】 高橋社長はどのようなお考えから、りそなキャピタルの社長職に手を挙げられたのですか。
【高橋】 まだあさひ銀行時代ですが、銀行員のときにベンチャー支援をやっていた時期があります。ちょうど第3次ベンチャーブームの頃で、80年代の後半ですかね。藤村さんのカンキョーですとか、アキヤなどが元気なときです。そこで従来の業種とは違う分野の新規企業の成長を目の当たりにしてきたわけです。その際、こうした新しい成長分野で銀行としてできることは何だろうと考えたのです。銀行もベンチャーを取り込んでいかないと、既成業種ばかりでは成長性のないポートフォリオになってしまうわけですから。そこで、「ベンチャー支援事務局」を銀行内に立ち上げて、新しい企業の目利きをしてあさひ銀行グループの融資や投資に結び付けることをやりました。つまり、グループ内にベンチャーキャピタルを含めた仕組みをつくったわけです。 |