【森本】ジャフコは日本で最も早く立ち上げられたベンチャーキャピタルの一つになりますが、創業当時の状況はどうだったのですか。
【豊貴】ジャフコは1973年に、野村證券、日本生命、三和銀行が合同で、株式上場までの企業育成を目的にした投資会社として設立されたものです。当時の「日本合同ファイナンス」という社名は、三社が合同でつくった、というところによったものです。私が入社したのは1985年ですから、そこから遡ること12年前のことになります。
【森本】当時から現在のような活動をされていたのですか。
【豊貴】日本合同ファイナンスは、今でいうベンチャーへの投資を主目的に設立したのですが、ベンチャーキャピタルというものは投資からIPO(投資資金回収)までの期間が長いため、創業当時は、資金の確保には苦労しました。いわゆる日銭を稼ぐ金融ビジネスをやりながら事業を展開していたのが実情です。リース業務、融資業務などをしながら、銀行から借りた資金で投資事業を進めていました。そのために当時は、投資機会のロスも多かったと聞いています。
【森本】法律においても、投資家の意識においても、ベンチャー投資を行う環境が整っていなかった時代ですね。
【豊貴】そうです。そういうわけで打開策として、借入でない資金源である投資事業組合の国内第1号のファンドをつくったのは1982年のことです。当時、米国ですでにそのようなリミテッド・パートナーシップというファンドがあって、機関投資家や年金基金などから資金を募ってベンチャーに投資するビジネスが行われていたわけです。それを参考に日本でも同じようなファンドの仕組みをつくりました。米国式にファンドを組成しようとした際に、当時の日本にはベースになる法律がないため、現行法に触れない受け皿を探すことから始まりました。担当弁護士と協力し、いろいろ研究した結果、できあがったのが民法を使った任意組合でのファンドです。このスタイルは、1999年の投資事業有限責任組合法の制定で、ようやく無限責任でないファンド展開ができるようになるまで、ずっと続いていました。そして、いまは、来年施行される金融商品取引法で、ベンチャーキャピタル業界全体に規制がかかる新たな段階を迎える時代にあるといえます。
【森本】その第1号のファンドはどういう展開をたどったのですか。
【豊貴】やはり、ファンドという仕組みを理解していただける出資者はなかなか出てはこなかったですね。第1号ファンドは、16億円という小規模の運用でした。そのときから1口1億円で募っていますが、ヨーロッパの機関投資家や国内の企業家からも集めました。
【森本】そのヨーロッパの会社とは。
【豊貴】フランスや、イギリスのマーチャントバンクといったところが出資していたようです。
【森本】なるほど。
【豊貴】こうしたファンドはまったく世の中にない時代でしたので、当時の大蔵省や通産省と連携したり、やりあったりしてやってきたわけです。税金の問題も絡んできましたので国税庁とも折衝したりと、そうした状態でスタートしたファンドであるということです。 |