【森本】 日本のベンチャーキャピタルで「グローバル」を掲げるのは、当時としてはかなり先駆的なことではなかったのかという気がしますが。
【長谷川】 グローバルスタンダードでやっていこうという志がありましたから、この名前に決まったのはごく自然の成り行きでした。
【森本】具体的にはどのようなミッションを展開しようとしたのでしょう。
【長谷川】 それまでは、国内の証券市場において株式を新規公開する企業は、大体、創業後23年から30年というかなり歴史のある企業が多かったわけです。しかし、米国でたくさんのベンチャー企業が起こっているのは、創業してすぐに株式の公開や市場上場を目指すというスタイルが確立しているからです。日本でも株式公開を目標に掲げるベンチャーを作り出す必要があるべきだし、また、新興企業の株式公開の受け皿が整ったことで、こうした新しいベンチャーの起業のチャンスが広がってきたといえます。したがって、私たちは、創業時から株式を公開する志向性をもち、創業から3年ないし5年のうちで株式を公開するベンチャー企業の支援に取り組んでいます。これは、日本においては、新しいモデルになるのですが、アーリーステージの段階から投資をして、ベンチャー企業をハンズオンするパートナーシップを重視したベンチャーキャピタルの運営が、私たちのスタイルになります。
【森本】 なるほど。アメリカのスタイルを日本にも導入しようという。
【長谷川】 そうです。また、どこの系列にも入らないで、自分たちの能力とネットワークで運営する独立系として活動するのも私たちの特徴です。近年、独立系ベンチャーキャピタルが続々誕生してきていますが、その先駆的存在といっていいと思います。しかし、設立当初は、こうした独立系のベンチャーキャピタルに対しては、大変ネガティブな意見が主流でした。たとえば、「資金が集まるのか」「いい案件をつかまえられるのか」といった声を多く聞きました。他のベンチャーキャピタルに行って断られたおこぼれのようなものが回ってくるだけだろう、というひどいことを言われたこともありました。他にも、「アーリーステージに関わっていても利益にならない。公開直前の企業に投資するのが成功の秘訣だ」といった声もずいぶん聞かされました。私たち自身としては、こうした声に対しても、パートナーシップでやっていくという理念に基づいた姿勢を貫くことで応えていきました。
【森本】 日本のベンチャーキャピタルは、ある意味お金を出すだけというイメージがありますからね。
【長谷川】 まさにその通りです。最初は本当に厳しかった。私たちの姿勢が実際に評価されるようになるのは、やはり、ファンドの実績が高まってからのことです。1996年にスタートした1号ファンドは、6億5000万円と非常に規模の小さいものでした。しかし、1999年10月に2号ファンドを、2000年4月には3号ファンドを立ち上げ、2005年5月には4号ファンドと、着実にファンドを継続できているのは、われわれの新しいビジネスモデルが日本に定着してきた「証し」だと考えています。
【森本】 ファンドの出資者は、どのような人たちなのでしょうか。
【長谷川】 設立当初は、3人の個人的知り合いから資金を投下してもらっていました。自分自身でベンチャー経営をした経験を持ち、会社を立ち上げて大きくしていく過程の苦労を知り、そのとき、パートナーがいたらよかったな、という考えを持った人たちです。後に続く後輩ベンチャーの力になりたいと考えている人たちですね。
【森本】 儲かりそうだから金を出そう、という考えだけではダメと言うことですね。
【長谷川】 そうです。私たちのやり方に、納得、あるいは共鳴していただける人たちとも言えますね。 |