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VC vision
前編 後編
第9回 パイオニアという名のベンチャー 前編 ベンチャーキャピタルの産業化
日本のベンチャーキャピタルの草分けとして33年の歴史をもつ 株式会社ジャフコは、
フルラインでプライベートエクイティの投資・運用活動を展開する
業界最大手のベンチャーキャピタルである。
ベンチャーキャピタル業界が、来年の金融商品取引法施行や
これまで間接金融を中心としてきた金融機関のベンチャーキャピタルへの参入など、
大きな転換期を迎えるなか、
ジャフコは、いまどのような新しいビジネス展開を模索し、チャレンジしようとしているのか。

interviewer:森本紀行(ベンチャー座アドバイザー、HCアセットマネジメント代表取締役社長)
投資先一覧パートナー
1982年、投資組合の国内第1号のファンドをつくる

【森本】ジャフコは日本で最も早く立ち上げられたベンチャーキャピタルの一つになりますが、創業当時の状況はどうだったのですか。
【豊貴】ジャフコは1973年に、野村證券、日本生命、三和銀行が合同で、株式上場までの企業育成を目的にした投資会社として設立されたものです。当時の「日本合同ファイナンス」という社名は、三社が合同でつくった、というところによったものです。私が入社したのは1985年ですから、そこから遡ること12年前のことになります。
【森本】当時から現在のような活動をされていたのですか。
【豊貴】日本合同ファイナンスは、今でいうベンチャーへの投資を主目的に設立したのですが、ベンチャーキャピタルというものは投資からIPO(投資資金回収)までの期間が長いため、創業当時は、資金の確保には苦労しました。いわゆる日銭を稼ぐ金融ビジネスをやりながら事業を展開していたのが実情です。リース業務、融資業務などをしながら、銀行から借りた資金で投資事業を進めていました。そのために当時は、投資機会のロスも多かったと聞いています。
【森本】法律においても、投資家の意識においても、ベンチャー投資を行う環境が整っていなかった時代ですね。
【豊貴】そうです。そういうわけで打開策として、借入でない資金源である投資事業組合の国内第1号のファンドをつくったのは1982年のことです。当時、米国ですでにそのようなリミテッド・パートナーシップというファンドがあって、機関投資家や年金基金などから資金を募ってベンチャーに投資するビジネスが行われていたわけです。それを参考に日本でも同じようなファンドの仕組みをつくりました。米国式にファンドを組成しようとした際に、当時の日本にはベースになる法律がないため、現行法に触れない受け皿を探すことから始まりました。担当弁護士と協力し、いろいろ研究した結果、できあがったのが民法を使った任意組合でのファンドです。このスタイルは、1999年の投資事業有限責任組合法の制定で、ようやく無限責任でないファンド展開ができるようになるまで、ずっと続いていました。そして、いまは、来年施行される金融商品取引法で、ベンチャーキャピタル業界全体に規制がかかる新たな段階を迎える時代にあるといえます。
【森本】その第1号のファンドはどういう展開をたどったのですか。
【豊貴】やはり、ファンドという仕組みを理解していただける出資者はなかなか出てはこなかったですね。第1号ファンドは、16億円という小規模の運用でした。そのときから1口1億円で募っていますが、ヨーロッパの機関投資家や国内の企業家からも集めました。
【森本】そのヨーロッパの会社とは。
【豊貴】フランスや、イギリスのマーチャントバンクといったところが出資していたようです。
【森本】なるほど。
【豊貴】こうしたファンドはまったく世の中にない時代でしたので、当時の大蔵省や通産省と連携したり、やりあったりしてやってきたわけです。税金の問題も絡んできましたので国税庁とも折衝したりと、そうした状態でスタートしたファンドであるということです。

投資活動のあり方、出資者への対応を変えてきている

【森本】そのときの出資者は、どういう考えを持っておられたのでしょうか。
【豊貴】当時の投資家が何を期待していたのかと振り返りますと、まず、日本の新規上場市場が、当時ほとんどない状態から、今後どんどん大きくなっていくのではないか、というイメージがあったと思うのです。当時は店頭市場に100社ほど上場していたのですが、ほとんどが昭和30年代に上場された会社ばかりで、市場としては低迷していたわけです。その市場を活性化させ、日本に本格的な新規上場市場をつくりあげるという目標を掲げました。投資家たちは店頭市場の成長によるリターンを期待していたと思います。そのような市場環境を考慮して、ジャフコとしてもどういう企業を投資対象にするべきか、ということをかなり議論しています。当時は新規上場のハードルが非常に高かったからです。店頭市場が整備される前であり、東証の二部、大証の二部、地方の市場でダイレクトに上場することになるのですが、そうなると、ある程度収益基盤があって、2、3年、あるいは4、5年後に上場が可能な企業だけしか投資の対象になりませんでした。
【森本】中堅企業が主要な投資先になっていくわけですね。
【豊貴】もちろん、なかには設立して間もない企業に投資して上場させた例もありますが、件数的には稀でした。ファンドは毎年のように立ち上げていました。最初のファンドは16億円でしたが、年間を通じては数十億円の投資をしていましたので、一つのファンドがいっぱいになれば、次のファンドで投資をするという形で、ファンドの数は非常に増えていきました。またスタートアップの企業に意識的に投資をしていくようになったのは、1995、1996年ごろからです。投資の体制とか、組織のあり方を試行錯誤して米国的な投資のスタイルも取り入れようとしたのが1997、1998年ごろです。現在はその体制をさらに軌道修正しています。
【森本】では、現在、ジャフコはベンチャーキャピタル業務を行うに当たってどんな課題に取り組んでおられるのですか。
【豊貴】現在取り組んでいる課題の一つが金融商品取引法への対応です。今まで管轄官庁がなかったプライベートエクイティ業界が、法律改正によってさまざまな規制を受けるようになります。法改正の目的には、投資家保護があるわけですが、ジャフコとしては、こうした転機をチャンスとして捉えて、仕事の仕組みや投資家との接点のとり方を、より綿密にした形につくり変えていきたいと考えています。当社はこれまで2、3年かけて投資活動のあり方、出資者への対応を変えてきているのですが、その背景には、この法改正が念頭にありました。





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