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VC vision
前編 後編
第10回 ベンチャーマインドの求心力 前編 ハンズオンに強みを持つ
2000年の設立以来、安定した業績を残し続ける大手商社系ベンチャーキャピタルの
伊藤忠テクノロジーベンチャーズ。
伊藤忠商事の情報部門が70年代初めからアメリカ・シリコンバレーの
ベンチャー企業の支援・育成に関わってきた事業を土台に、
ITビジネスに特化したベンチャーキャピタルとしてスタートしたものである。
安達俊久代表取締役社長が、設立から7年目を迎え、
これまでのビジネスを振り返りながら、
今後新たに進むべきビジネス展開について語る。

interviewer:森本紀行(ベンチャー座アドバイザー、HCアセットマネジメント代表取締役社長)
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【森本】 まずは、安達社長が伊藤忠商事という総合商社で、ITベンチャーの投資事業に関わるようになった経緯をお聞かせください。
【安達】 伊藤忠商事のITビジネスは、かれこれ36、37年の歴史があります。伊藤忠商事は総合商社ですので、早くからコンピュータ、ITの世界でのビジネスに取り組んできていまして、商社の実務として必然的にIT関連のベンチャービジネスにも参入していました。ITの世界は、その当時からアメリカで非常に進んでいまして、現在でも日米間では大きな差があるわけですが、我々は70年代からずっとアメリカで新規商権の開拓を進めてきています。そういうなかで、アメリカで最先端のコンピュータの世界をいろいろ学んで、そのビジネスノウハウを日本に持ってきて、新しいビジネスを確立しようという動きが出てきたわけです。
【森本】 その時安達社長はどういうポジションにいらしたのですか。
【安達】 私は、アメリカのベンチャー企業と関係強化を進める業務に携わっていまして、その経験が買われてベンチャーへの投資事業のスタートに関わるようになりました。1992年に、ベンチャーへの投資ビジネスが実際にスタートしています。この90年代の前半が、私が実際にベンチャーキャピタルに関わるようになってきた時期でして、1995年には、伊藤忠商事のコアカンパニーである伊藤忠テクノソリューションズ株式会社(CTC)に出向して、さらにベンチャー投資に本格的に取り組むようになりました。そこで、当時のCTCトップの指揮の下、新規の商権開拓や投資先の獲得に動いていたわけです。これが、私がベンチャー投資に関わるようになっていった経緯です。1990年代の10年間で、商権獲得型、事業提携型などの投資をIT分野に特化して携わりました。また、ベンチャーキャピタルは、アメリカで始まったビジネスモデルですが、そういうアメリカのいくつかファンドに伊藤忠商事として出資をしていたので、その経験を通してファンドの研究も進めていました。
【森本】 伊藤忠テクノロジーベンチャーズは、そうした歴史と経験値を踏まえて設立されたというわけですね。
【安達】 はい。伊藤忠商事の小林社長(当時・情報産業部門長)のリーダーッシップの下で、ベンチャー投資事業を専門特化して行なうことが決まりました。1999年頃にそのプロジェクトがスタートしています。そこで、ITベンチャーに投資するファンドの組成・運営する会社をつくろうということになっていくわけです。ただ、会社をつくるには、資金集めをしなければなりません。殊に2000年春にITバブル崩壊もあり大変苦労しましたが、最終的にグループ内外13社の機関投資家のご賛同を得て、伊藤忠テクノロジーベンチャーズが2000年7月に設立されたということです。
【森本】 その頃、日本ではもう本格的なIT時代を迎えていました。
【安達】 そうです。高い技術力と成長力を持つITベンチャーの育成が日本産業界の大きな課題になっていましたので、商社ならではの総合力を生かしたグローバル展開や経営支援を中心にしたベンチャーの育成に取り組んでいこうという趣旨で設立しました。

IT特化型ベンチャーキャピタルを軌道に

【森本】 伊藤忠テクノロジーベンチャーズが設立された当時の、ITを巡る社会状況はベンチャーキャピタルにとってどういうものだったのですか。
【安達】 私は、そのときはまだCTCに在籍しておりまして、伊藤忠テクノロジーベンチャーズに参画したのは、実は2002年からです。しかし、当時から事業にはいろいろと関わっていました。2000年3月からアメリカのITバブルの崩壊が始まっていたのですが、そのITバブルの崩壊を見ながら、ファンドを形成していきました。そのときは、株価もどん底にありましたし、ベンチャーの案件も少ない状態でしたが、「これ以上悪くはならない」という考えを基本に取り組み始めたのを覚えています。「仕入れは安く、売りは高く」というあらゆるビジネスの原則どおりの展開が非常にしやすい、メリットが高い時期なのだ、というように考えていたわけです。
【森本】 ITバブルの崩壊を逆にチャンスにしてしまおうというわけですね。
【安達】 ただ、株価が下がるのは時間がかかるものなのですね。IT関連の株価は、1999年から2000年3月までに一つのピークを迎えるのですが、株式市場の株価がドンと下がっても、ベンチャーの未公開企業の未上場の株は、一挙には下がってこなかったのです。だから、我々が苦労したのは、当初、納得感のある投資先がなかなか見つからなかったことです。そういう状態から、ITベンチャーの環境がポジティブなものに変わってきたのは、2003年くらいからです。
【森本】 ITを巡る環境がポジティブに変わってきた要因は何であったとお考えですか。
【安達】 それは、インターネットの普及が劇的に進んだということですね。インターネットの原型ができてきたのは、アメリカでの1970年代、1980年代ですが、それを経て1990年代中頃から本格的に普及し始めます。インターネットは革命的なイノベーションですので、1990年代は、今までにない斬新な新ビジネスが数々できてきたのです。だから、我々としても、インターネットを核にした新しいビジネス、ベンチャー、テクノロジー、ビジネスモデルが、日本にもたくさん出てくると、期待していたわけです。ところが、2000年には、その動きはパタッと止まってしまいます。インターネットの普及度はますます高まっていながらも、新しいテクノロジーは、1990年代でほぼ出尽くしてしまった感があって、2000年以降に出てくるITの新しいビジネスモデルは、利用技術にシフトした様相になっていきます。その点が、設立当初の我々のイメージとは違っていましたが、結果的に、何とかファンドで投資するベンチャー企業の発掘が進みました。当社では、設立からの6年間で56社に投資して、6社が上場して、4社のM&Aを実現しています。ITバブルの崩壊後のスタートでしたが、インターネットの普及を背景にして、ITに特化したベンチャーキャピタルを軌道に乗せることができています。



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