【森本】 まずは、コアピープル・パートナーズ設立の経緯からお話いただけますか。
【本間】 大学卒業後の1998年に就職したジャフコでは、海外投資の事業部に配属されました。その部署にはベンチャー座ですでに取材されているリード・キャピタル・マネージメント代表取締役の谷本徹さんや、GMOベンチャーパートナーズ取締役の村松竜さんがおられ、その部署の統括の取締役が現在の日興アントファクトリーの代表取締役の尾崎一法さんでした。その意味では、いろいろな方がいるチームにいきなり放り込まれた形で、私のキャリアがスタートしたといえます。
【森本】 当時はちょうどインターネットバブル直前のころですね。
【本間】 はい。私の業務は、シリコンバレーの投資部隊が投資した案件を、日本で事業展開することでした。代理店との契約や営業プロジェクトを立ち上げたり、また、日本法人を立ち上げることをメインに行っていました。いわば、商社のような仕事をずっとやってきました。そうした事業を進めていくうちに、事業運営の仕組みをもっと体系的に勉強したいという思いが強く出てきました。そこで、ネットバブル崩壊後の時期に、外資系のアクセンチュアというコンサルタンティング会社に転職しました。アクセンチュアにはベンチャー投資のアライアンスなどを行っている投資部隊があって、そこに2年ほどお世話になりました。ここでは、クライアントとのジョイントベンチャーの設立や、アウトソーシングの案件への投資などを主に展開していました。
【森本】 そしてワークスキャピタルへ移られたわけですね。
【本間】 はい。アクセンチュアでは本社直轄の部署にいたので、方針が上から降りてくるため、私がやりたいと思うことがあまりできない状況にあったからです。また、そのころには私もベンチャーキャピタルのキャリアをもう少し本気で追求したいという気持ちが強まっていましたので、ブティック型のワークスキャピタルに入ることにしたのです。
【森本】 どういうきっかけでワークスキャピタルに移られたのですか。
【本間】 パートナーに、2名ほど旧知の人物がいた関係です。2003年の1月のことです。当時は、メンバーが6人いました。現在は4人の少数精鋭の体制でベンチャー投資をしています。小さく意思決定して入口から出口までに関われるという、本来、私が求めていた事業体制であることが、入社した大きな動機になります。
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