【森本】 御社の設立当初と現在では、かなり大きな変化があるとうかがっています。その変化の経緯をご説明願えますか。
【酒巻】 当社は、1990年に産業基盤整備基金と民間企業の出資で設立されたのが最初です。そして、1996年に、政府系金融の日本開発銀行(現株式会社日本政策投資銀行)と新たな民間企業が協力で約50億円の増資が行われました。日本開発銀行が本格的にベンチャーキャピタルの活動を展開するようになったのは、この1996年が最初になります。そして、2004年に産業基盤整備基金が中小企業基盤整備機構に統廃合されたのを機に、もともとあった産業基盤整備基金との資本関係を解消して、日本政策投資銀行と民間企業の出資によるベンチャーキャピタルになったというわけです。結局、日本政策投資銀行が産業基盤整備基金の母屋を借りる形で参入したのが、今では逆に主体として残っているという経緯になります。
【森本】 なるほど。
【酒巻】 そこで、政府系金融である日本政策投資銀行がベンチャーキャピタル事業を始めたきっかけですが、この背景には、第三次ベンチャーブームといわれる1990年代の経済状況がありました。当時は、バブル崩壊後の日本経済を元気づける経済政策が強く求められていた時期です。そこで、官民一体となって、これからの新しい産業を興そうというムーブメントが起きます。従来の日本政策投資銀行の役割は、どちらかというと、すでに大きく成長した企業への融資を通じて社会・経済基盤に関連したプロジェクトを推進することが多かったのですが、これからの日本経済を引っ張っていくには、ベンチャー企業によるイノベーションではないかということで、日本政策投資銀行としてベンチャー企業への融資事業をスタートさせることになります。そして、融資ではない投資としての活動を展開するには、別企業があったほうがいいだろうということで、1996年に、日本政策投資銀行と約100社民間企業による出資が行われて、当社の新たな体制が出来上がっていったわけです。
【森本】 日本の経済に刺激を与えるため、官民一体となって仕組みを作ったというわけですね。
【酒巻】 はい。その後、現在までの12年間、ベンチャー投資の事業を続けてきているわけですが、今年10月より日本政策投資銀行が民営化されて株式会社になりました。この辺のプロセスは、当初想定してはいなかったのですが、これからの日本経済の成長に寄与するために皆が一緒になってベンチャー企業へ投資活動する、というあり方は変わってはいません。むしろ、日本政策投資銀行自体に民間的要素が加わってくるので、中長期的な経済成長を促進するというパブリックな観点を重視する側面と、民間のネットワークとノウハウを使っていくという側面、この二つの要素をより一層強めることができるものと考えています。我々は今後とも、この観点を大事にしていきたいと思っています。
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