【森本】 大阪を地盤にする地方銀行の池田銀行が、池銀キャピタルを設立してベンチャーキャピタル事業を取り組み始めた時期とその狙いについてお話いただけますか。
【神保】 私自身は直接設立に関わってきたわけでありません。ですので、池田銀行グループとして池銀キャピタルを設立した狙い、経緯については概略的にしかお話しできませんが、池銀キャピタルは、法的には設立されてから20年の歴史を持っています。もともと池田銀行グループにはノンバンク事業を行う会社が複数ありました。それらを統合して、それまでの貸金業、抵当証券の事業に加えて、投資事業の展開を新たに目指して作られたのが池銀キャピタルです。そして、この投資事業に集中して取り組み始めたのが2003年のことになります。ですから、会社組織としての池銀キャピタルの歴史は古いのですが、専門の投資会社としての歴史は新しい会社だといえます。
【森本】 2003年に投資会社として本格化させた際のスタッフは、銀行からの出向社員で始めたのですか。
【神保】 ええ、内部の人間で固めた構成でスタートしています。池銀キャピタルの投資事業自体も、銀行のある部署のメンバーが立ち上げたもので、そのメンバーが専任で出向する形で始めたものです。会社設立に関わった人間は、今は残っていませんが、ただ、営業には、当初から関わっている人間もおります。
【森本】 ベンチャーキャピタルの経験者を外部から入れないで、投資活動のノウハウをどのように確立していったのですか。
【神保】 基本的に内部での研究、育成、それから、外部のベンチャーキャピタルで研修を受けてノウハウを輸入する方法を取っています。
【森本】 どのようなベンチャーキャピタルに行かれたのですか。
【神保】 池田銀行と取引のあるところです。上場している大手のベンチャーキャピタルや、池田銀行が親密にしている銀行系のベンチャーキャピタルなどです。
【森本】 池銀キャピタルの社長になるまでの神保さんの経歴はどのようなものですか。
【神保】 私自身にはベンチャーキャピタルの経験がありません。池銀キャピタルにも途中から参加している形です。私は、もともと、大学を卒業してから和光証券(現新光証券)に長く勤めていた人間で、調査部門に在籍していました。縁があって、2003年に池田銀行にお世話になることになって、今、池銀キャピタルの社長に就任しています。証券会社時代には、リサーチャーとして中小型株を専門にやっていました。20年近く中小型株をみていたので、その点を評価いただいて、池田銀行に声をかけていただいたと思っています。
【森本】 和光証券時代にも、ベンチャーキャピタルの事業についてはご存知だったのですね。
【神保】 はい、概念的には知っていたつもりです。上場株といいますか、セカンダリーの銘柄と同時に、公開前の銘柄をバリュエーションする仕事にも引受けの営業開拓部門と一緒に関わっていましたので、接点がまったくなかったわけではありません。
【森本】 転籍の決断は早かったのですか。
【神保】 私自身としては、渡りに船という感じでした。2000年ぐらいから証券界はいろんな意味で流動的になっていて、人の動きが非常に活発でした。その流れに乗ったという感じでいます。
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