起業家・ベンチャーキャピタル・投資家を繋ぐコミュニティ・マガジン

VC vision
前編 後編
第32回 大和SMBCキャピタル株式会社 前編 ネットワークをいかした成長支援
大和SMBCキャピタルは、2005年に大和証券系のエヌ・アイ・エフ・ベンチャーズと
三井住友銀行系のSMBCキャピタルが合併して誕生したベンチャーキャピタルだ。
本年10月1日より、旧社名・エヌ・アイ・エフSMBCベンチャーズを
大和SMBCキャピタルへと変更している。
大手証券会社とメガバンクを親会社に持ち、
投資部門に100名近いキャピタリストを有する同社は、
業界最大手のベンチャーキャピタルの一つとして、
どのようなベンチャー投資を目指しているのだろうか。
執行役員 投資第一部長の横山英世氏に、社名も一新し、
新しいスタートを切った大和SMBCキャピタルの投資活動の今とこれからをうかがった。

interviewer:森本紀行(ベンチャー座アドバイザー、HCアセットマネジメント代表取締役社長)
投資先事例

ベンチャー投資にまつわる環境変化に対応

【森本】 エヌ・アイ・エフSMBCベンチャーズは10月1日より大和SMBCキャピタルに社名を変更しましたが、どのような組織的な変遷を辿っているのでしょうか。
【横山】 当社の母体は大和証券系の日本インベストメントファイナンスという会社で、1982年に設立しています。この日本インベストメントファイナンスは、2000年に大和ファイナンスと合併してエヌ・アイ・エフベンチャーズという名前になります。そして、2005年10月に、三井住友銀行系のSMBCキャピタルと合併をして、エヌ・アイ・エフSMBCベンチャーズとなっています。さらに、今年の10月に、社名を大和SMBCキャピタルに変更しました。日本のベンチャーキャピタルの歴史は、1963年に東京、名古屋、大阪にできた中小企業育成投資会社が始まりとされています。その後1972年に京都エンタープライズデベロップメント、1973年にジャフコの設立があります。この時期は第一次ベンチャーキャピタルブームといわれています。そして、1982年に第二次ベンチャーキャピタルブームが始まります。この第二次ベンチャーキャピタルブームに当社の歴史が始まったということになります。
【森本】 こうした変遷の中で、投資に対する取り組み方で変わっていった点はありますか。
【横山】 私は、1996年2月の入社でして、それ以前はベンチャー市場といっても、店頭公開市場しかなかった時代です。したがって、親会社の大和証券を通じた案件へ投資するスタイルが中心で、それもレイトステージの案件への投資がほとんどでした。ベンチャー投資というよりも、公開を間近にしている中堅の未公開企業に投資するイメージが強かったと思います。それから、マザーズ、ヘラクレスといった新興市場ができてきて、そこから本当の意味でのアーリーステージへの投資ができるようになってきます。この動きの背景としては、1995年に中小企業創造法という法律ができて、全国にベンチャー財団がつくられたことがあります。そのベンチャー財団がアーリーステージでも投資の7割を保障するシステムができて、ベンチャー投資がしやすい環境ができてきます。それから2001年に、文部科学省が2004年までに1,000社の大学発ベンチャーの設立を目指すという目標を掲げて大学発ベンチャーを積極的に奨励しはじめます。こうしたことから、アーリーステージへ投資する本来あるべきベンチャー投資が実践されるようになってきました。当社の母体会社がその当時に合併を行ったのも、こうしたベンチャー投資にまつわる環境変化が要因になっていたことは間違いないと思います。

合併でゼネラルな投資活動ができるように

【森本】 その際、組織内の仕組みに変化はあったのですか。
【横山】 はい。まず、アーリーステージへ投資しようとしたとき、技術系のベンチャーや新しいビジネスモデルを開発したベンチャーの事業を正当に評価するのが難しいわけです。そこで弊社では、それに対応するために、テクニカルアドバイザーを置きました。現在、IT分野で10名、ライフサイエンス系で10数名のテクニカルアドバイザーがいます。これは、大手電機メーカーの総合研究所長だった人や、大手製薬会社の研究所長だった人、また、大学教授などに依頼して、テクノロジーの評価をしていただいています。当社の母体の一つであるエヌ・アイ・エフベンチャーズは、もともと、こうした技術系に強みを持っていました。そして、2005年に合併したSMBCキャピタルのほうは、銀行からの紹介案件への投資をしてきたベンチャーキャピタルでしたから、サービス系に強みを持っていました。この二つが合併することで、ゼネラルな投資活動ができるようになったといえます。
【森本】 ファンドはどのように展開されてきましたか。
【横山】 1983年の投資事業組合「NIF1号」が、弊社の最初のファンドになります。これは、民法上に組成したファンドでした。そして、1998年に有限責任組合法ができて、公的な機関や機関投資家がファンドに出資しやすい環境が整っていきます。ファンドの仕組みとしては、こうした変遷がありました。これまで、通常のファンドのほか二人組合も多く組成していますので90本くらいのファンドを設立してきました。現在運用中のファンドは66本あります。
【森本】 ファンドコンセプトにおいての変化はどうでしたか。
【横山】 最初は大和証券グループの子会社という形で、親会社からの案件紹介への投資が多いと同時に、複数のファンドが同時に運営されている状況がありましたが、2005年に組成したファンドから、一本が終わったら、次のファンドへという具合に完結型のファンドにするという方針に変えました。二人組合は別にして、メインのファンドについては、そういう形になりました。
【森本】 二人組合はどのような位置づけで取り組んでいらっしゃるのですか。
【横山】 二人組合には、地銀と組んで地域に特化したファンドの組成や、IT系やコンテンツ系などの事業会社とファンドをつくっていますが、基本はお互いのニーズの一致です。我々としては、その業界、分野の情報収集が一番の目的になります。

投資ありきが当社のファンドの特徴

【森本】 ファンドを組成する際、どういう手順を踏まれていますか。
【横山】 やはり、出資者のニーズをよく聞くことが大事なポイントになります。当社では、ファンド事業部門にファンドマーケティング部という部署があります。ここでは、機関投資家が主になりますが、出資見込み先のニーズの把握を担っています。ファンドマーケティング部は、現在のファンドの進捗状況と、次のファンド組成プランと掛け合ってくる業務なので、非常に重要なポジションと考えています。ファンドレイズよりも、まず投資ありきというイメージが当社のファンドの特徴です。ファンドを集める以前に、投資力を強化することに力を入れています。
【森本】 御社の強い投資力の裏付ける決定打は何でしょう。
【横山】 ネットワークだと思います。ベテランのキャピタリストになれば、投資家、投資先、他のベンチャーキャピタルなどの人脈が広がっていきますし、弊社は長い歴史がありますので、そういう蓄積が豊富だと思います。それに、親会社の証券会社、銀行のネットワークも使えますから、そこも大きな強みになっています。
【森本】 出資者は具体的にどういう方々ですか。
【横山】 ほとんどが金融機関と大手事業会社です。
【森本】 現在運用しているファンドの規模はどれくらいですか。
【横山】 投資を行っているファンドとして、2006年に組成したVCファンドは、580億円の規模です。バイアウトファンドは昨年115億円のファンドを設立しました。
【森本】 次のファンド設立の予定はどうなっていますか。
【横山】 運用中のファンドの投資余力との兼ね合いになりますが、投資の進み具合によって、今期末か、あるいは来期早々には新しいファンドを立ち上げることになると思います。
【森本】 その次のファンドの規模は、どの程度のものですか。
【横山】 IRで公表している時点では700億円という数字が出ていますが、これはベンチャーキャピタルファンドとバイアウトファンドを合わせた数字ですから、状況によって変わる可能性はあります。
【森本】 投資活動に携わるメンバーは何名で構成していますか。
【横山】 国内のベンチャーキャピタル投資部門が65名、海外部門が13名、バイアウト投資部門が16名、それから、投資先のハンズオンやエグジットを担っている事業開発部が14名という構成です。




HC Asset Management Co.,Ltd