【森本】 まず、安田企業投資と国内最大手のベンチャーキャピタルの一つだったエヌイーディー(日本エンタープライズ・デベロップメント)との関係についてお聞かせください。
【糸川】 安田企業投資の前身の一つであるエヌイーディーが設立されたのは1972年11月のことです。その当時は、国の政策機関である中小企業投資育成会社は存在しましたが、民間のベンチャーキャピタルはまだ少ない時代でした。そこで民間のベンチャーキャピタルを作ろうということで、日本長期信用銀行(現新生銀行、以下、長銀)が旗振り役となって設立されたものです。最初はイコールパートナーという形で事業会社の株主が入った組織で、日本の代表的な大手事業会社に声をかけて作ったのがもとになっています。しかし、設立した翌年の1973年にオイルショックがあって、株式の新規公開や上場する企業が少なくなり、企業を維持していくためにファクタリングや融資事業を業務の中に取り込んでいきました。ただ、そういう形になると、だんだん金融機関としての性格が強くなってきて、事業会社からのエヌイーディーへの関心が薄れるようになっていきました。1983年ころには、長銀を中心にして第一勧業銀行(当時)、伊藤忠商事、大和証券が資本提供するベンチャーキャピタルとして運営されるようになりました。
【森本】 そのころは、店頭公開での公募増資がようやくできるようになった時期ですね。
【糸川】 はい。ベンチャーキャピタルも、新興企業がIPOする以前の段階で資金を集めて、その資本力を背景にして新興企業をマーケットに売り出すことを行っていた時代です。この時期は第二次ベンチャーブームといわれた時期で、証券系の大手ベンチャーキャピタルであるNIF(日本インベストメントファイナンス、現・大和SMBCキャピタル)が設立されたのもこのころです。店頭市場を活性化させようという流れが出てくる時です。この1980年代から1999年にマザーズ市場ができるまでは、利益重視型で、株式公開をするなら3億円の経常利益が必要だということがいわれていた時代です。いわば、中堅の上場予備軍を主な投資対象にしていて、地方のスーパーなどの小売系企業へも投資をしていたころです。現在では、ベンチャーキャピタルがあまり興味を示さない業種にもずいぶん投資をしていました。
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