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Front Interview
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Vol.021 株式会社アドウェイズ 代表取締役社長CEO 岡村陽久第3話 リスクテイク
コラム(3) パーソナル・データ(3)
藤田晋を捕まえる
 インターネットで起業しようと思い立ってはみたものの、私にはネットの知識も学歴もありません。そこでサイバーエージェントに入社するには藤田晋社長と直接お会いして熱意を伝えるしかないと思ったのです。自分の思いを履歴書4枚にびっしりと書き込んで東京に出かけました。そこには「営業成績でトップになるまでは給料はいりません」、「週に122時間働きます」、「経費はすべて自分で持ちます」、「営業でトップの成績を取れなければいつでもクビにしてください」と、リスクはすべて自分で取るという提案を書き連ねました。
 東京に着くと、サイバーエージェント本社が入る渋谷のマークシティへ向かい、正面玄関で藤田社長を待ちました。しかし、藤田社長は現れませんでした。友人に尋ねると、社長は正面入口ではなく社用車の出入口から入ってくるだろうと言うのです。そこで、翌日は裏口で待ちました。それでも藤田社長に会うことはできませんでした。そこで、サイバーエージェントのオフィスに乗り込むことにしたのです。その日は土曜でしたが社内には何人もの人が働いていました。そして、入口から一番近い机の上に履歴書を置いて帰ってきました。
 後日、サイバーエージェント社から不採用の手紙が届きました。営業は諦めないことが肝心ですが、引き際も大切だと思っていましたのでサイバーエージェントへの就職はスッパリと諦めました。かなり後になって藤田社長と会う機会があったので自分の履歴書のことを尋ねてみたことがあります。「そんな履歴書は見たこともない」という答えをいただきました。

命名、アドウェイズ
 大阪へ帰ると近畿設備に辞表を提出し、自宅の新大阪のワンルームマンションで起業しました。インターネットというビジネスは場所を選ばないという思いがありましたから、大阪という土地での起業にもまったく不安はありませんでした。立ち上げのメンバーには、近畿設備で一緒の同僚だった細谷英之君が、「東京へ出るお金を貯めたい」と言って私を訪ねてきたので彼にも参加してもらうことにしたのです。
 この頃の私のインターネットに関する知識は本当に乏しいものでした。また、私が起業のために用意したお金は100万円でした。そのうち30万円を使ってパソコンを買い込み実際に自分でインターネットを使いこなすことにしました。ところが最初はどうしても接続できませんでした。そこでIBMのサポートに電話したのですが、「まずプロバイダーと契約して、電話線とパソコンをつないでください」といわれてしまいました。私はパソコンとテレビのアンテナをつないで、「インターネットが繋がらない」と悩んでいたのです。当時の私のネットの知識はその程度のものでした。
 その後は徐々にネットで情報を集めたり、業界のことについて学ぶことができるようになりました。インターネットでできる様々な事業の中で、私はネットを使ってサービスを提供したり商品を売ったりするよりも、広告が一番儲かるだろうと思いました。当時、サイバーエージェントはウェブサイトに広告を掲載する事業を行っていました。私はウェブではなくメールメディアに目をつけて、そこに広告を出すことを事業にしようと考えたのです。社名はアドウェイズエージェンシーとしました。五十音順なら「ア」が頭につく社名の方が電話帳でもネット検索でも最初の方に来て目立つだろうというのが一番の理由でした。



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