起業家・ベンチャーキャピタル・投資家を繋ぐコミュニティ・マガジン

VC vision
前編 後編
第4回 愛と勇気とベンチャーと 前編 ファンドレイズが生命線
「バランス型」、「地域重視型」、「特化型」といった
ユニークなファンドを次々と開発するなど、
独立系ベンチャーキャピタルとして独自の道を歩む
フューチャーベンチャーキャピタル株式会社。
257億8,000万円のファンド総額にたよらずおごらず、
その眼差しは日本ベンチャーキャピタルの未来へと向かっている。

interviewer:森本紀行(ベンチャー座アドバイザー、HCアセットマネジメント代表取締役社長)
投資先業務内容一覧パートナー
ベンチャーキャピタルとの出合い

【森本】まず、川分さんとベンチャーキャピタルとの出合いについてお聞かせください。
【川分】私は、大学を出てまず都市銀行に入行しました。しかし、銀行は顧客のニーズに沿っていないことを現場で痛感し、このことをベースとしてずっと持ち続けていました。そこで、私自身がもっと国際的な視野に立った仕事がしたいという希望もあり、当時の日本アセアン投資に転職しました。そこで初めてベンチャーキャピタルと出合うことになるのです。実際に携わってみてとても興味深い仕事だと思いました。その後、日本アセアン投資が日本アジア投資へと社名を変えて、国内のベンチャーキャピタル投資のビジネスを本格的にはじめることになります。これで、さらにベンチャーキャピタル事業にのめり込むことになるのです。自分にとって天職だと思えるくらい充実した時期をすごすことができました。
【森本】そのあとフューチャーベンチャーキャピタルを立ち上げられるわけですね。
【川分】はい。日本アジア投資の本社で3年間勤めたあと大阪支店長を拝命するのですが、そこで自分が発掘してきたベンチャー企業に投資しようとしても、本社の稟議が通らない案件が増えてくるようになりました。いろいろと悩んだ時期もありましたが、時が経ちそうした案件の結果を見てみると比較的いい数字が出ているのです。実際、私のいた大阪支店は、本社や他の支店に比べいい結果を出していましたから。その時思ったのは、自分の信念通りのベンチャーキャピタルの投資活動をするためには、日本アジア投資の社長になるか、独立するしかないなということです。しかし、すぐに社長にはなれそうにはないので、「独立しよう」と考えるようになったのです。
【森本】当時は経済産業省が中心になって、日本でもベンチャーキャピタルに対する支援を行おうということで、規制緩和などの環境整備が進められるようになっていました。
【川分】1998年5月に投資事業有限責任組合法の法案が国会を通っています。それによって、ファンドの小口化が可能になりました。それまで、ベンチャーキャピタルを起業するときの最大のネックは、ファンドレイズ、つまり、投資資金の確保でした。小口化されることで資金が集めやすくなり、独立の環境が整ったことが大きいですね。
【森本】しかし、同年は、株価も景気も非常に低迷していた時期でもありますね。
【川分】そうなんです。経済状況は最悪でした。日本長期信用銀行が破綻したのも1998年の春でした。それでも、独立の準備を進めていましたので、そのまま独立に踏み切りました。

日本最初の有限責任ベンチャーキャピタルファンド

【森本】どのような形でスタートされたのですか。
【川分】まずは、ファンドをつくらなくてはいけないわけですが、私を支援してくださるエンジェル的な人がいまして、当初その人物から10億円規模の投資を見込んでいました。ところが、やはり当時の景気の影響で、結局2億円しか出してもらえなかったのです。
【森本】スタートからかなり厳しい状況だったわけですね。
【川分】1号ファンドは2億5,000万円でスタートしています。そのときの資本金は7,000万円で、このうち3,200万円をすべて私が調達し、あとは6人の株主の方々に1,000万円、500万円、300万円という形でトータル3,800万円を出資していただきました。この1号ファンドは1998年の11月1日に立ち上げたもので、一応、投資事業有限責任組合法の施行日と同じなので、日本最初の有限責任ベンチャーキャピタルファンドとなっています。ここからは6社に投資いたしました。
【森本】ファンドのフレームは、このあとのファンドも同じものなのでしょうか。
【川分】基本的には違っています。器は、もちろん投資事業有限責任組合ですが、その年の12月に、中小企業庁が民間のベンチャーキャピタルのファンドに資金を出す制度を検討していまして、それは、ベンチャーキャピタルで用意した金額と同額の資金を提供してくれるというものです。1号ファンドのときに資金を集めるのにものすごく苦労しましたので、2号ファンド以降は、この制度を使おうと考えていました。そこで、1999年3月に資本金を2億1,000万円に増資をして、それをベースに政府資金から資金を出してもらうという形で、2号ファンドに取り組みました。ところが、中小企業庁の中小企業総合事業団(現・中小企業基盤機構)に行っても最初は全然相手にされませんでした。正式に受理されたのは7月になってからです。最終的に12月までに5億円を集めて、政府資金から5億円を出してもらい、10億円のファンドとして立ち上げました。
【森本】この中小企業庁のベンチャーキャピタル支援制度には、どんなメリットがあるのですか。
【川分】国の窓口である中小企業総合事業団(現在の中小企業基盤整備機構) ですが、これは、全国の地方自治体がつくっているベンチャー事業財団の上部組織にあたります。つまり、国の税金を、中小企業総合事業団を通じて地方のベンチャー事業財団に配分し、それに、税金分と同額の資金を地方議会からも供出させ、その両方を合わせた資金をベンチャー事業財団が認定した民間のベンチャーキャピタルに預託するというものです。要するに、ベンチャーキャピタルに1%の金利で資金を貸してくれるのです。この制度のいいところは、70%の元金保証がついている点です。キャピタルゲインは、ほぼ全部確保できますから、地方のベンチャーキャピタルにとっては、リスクが小さくリターンが大きいというメリットがあります。
【森本】中小企業総合事業団との出合いによって、のちの「地方ファンド」への展開へとつながっていくわけですね。
【川分】石川県でつくった最初の地方ファンドは、このシステムを活用したものです。結局、15億円のファンドだったのですが、民間で7億5,000万円、石川県が2億5,000万円、中小企業総合事業団が5億円という内訳で、資金調達しています。石川県には上場企業が結構あって、ベンチャー企業への支援風土が備わっていますので、比較的うまく話が進んだ例になります。これは、私たちが初めて地方との接点をもてたファンドで、のちのちにはフューチャーベンチャーキャピタルの特徴にもなっていったものです。





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