【森本】 まずは、日興アントファクトリーの成り立ちからお話しいただけますか。
【谷本】 設立は2000年10月23日です。日興コーディアルグループとイギリスのアントファクトリー社との合弁会社としてスタートしまして、プライベートエクイティと呼ばれているバイアウト投資に特化した事業を行っていました。カタライザーシリーズというプライベートエクイティの旗艦ファンドを展開しています。そしてベンチャーキャピタル事業が、2003年1月1日、日興キャピタルとの経営統合でスタートしています。2002年の夏頃から、グループ内に2つあったプライベートエクイティの事業の統合化が進められ、現日興アントファクトリー社長の尾崎(一法)から日興キャピタルの事業を日興アントファクトリーと統合させようということで、2002年末に日興キャピタルが現在の事務所に引っ越してきました。
【森本】 当時の日興キャピタルには何名ぐらいメンバーがいらしたのですか。
【谷本】 60名くらいいたということですが、統合に際して最終的に20名ぐらいに人数を絞り込んだそうです。日興アントファクトリーも20名ぐらいでした。
【森本】 両社の事業統合で、何が変わりましたか。
【谷本】 すべてが変わったといっていいくらいですね。日興キャピタルの名がなくなり、日興アントファクトリーをいう名の下に新たなベンチャーキャピタル事業が始まったのです。
【森本】 日興キャピタル自体は、証券系ベンチャーキャピタルでしたね。
【谷本】 はい。日興アントファクトリーに組み込まれることで、投資手法そのものが変わりました。尾崎が、旧来のやり方すべてを捨て去ってしまいました。一番象徴的な例が、投資委員会が全員参加型の組織形態になったということです。日興キャピタルにおけるそれまでの投資決定では、担当者が出席しないで、社長と役員の前で部長が発表して、議論や最終的な決定がなされていたわけですが、現在では、全社員が投資委員会に参加して、担当者みずからがプレゼンをし、全員で議論をして、いろいろな案件や支援策を検討し決定していくスタイルになっています。
【森本】 定着するまでには、どれくらいの期間がかかりましたか。
【谷本】 いや、思った以上にすんなりと移行できました。2002年の後半の段階から委員会のやり方を切り替えていきましたから、2003年1月に新しい体制になったときには、そのまますんなりとスタートできました。
【森本】 具体的に変わった部分はどこですか。
【谷本】 インセンティブでしょうね。日興キャピタル時代の投資が、いまいくら成功しても、それは、インセンティブ・キャッシュにはなりませんから、それまであったインセンティブをいったんなくしてしまったのです。そして、2003年1月以降の投資について、新たにインセンティブとして扱われることになっています。だからといって、それ以前と以降の投資で、フォローに差が出ることはないのですが、とにかく、仕組みとしてはそうなっています。 |