僕の父方の祖父(堀義路)は、27歳でケンブリッジ大学工学部に留学し、北海道大学や慶應義塾大学などで教授を務めた科学者でした。父も大学院を卒業後、海外で研究に従事し、茨城県東海村の原子力関係の研究機関の設立に関わるなどした科学者です。そのためか僕も小さな頃から海外へ留学することにあこがれを持っていましたし、当然なこととも思っていました。
小学校低学年までは、茨城県の東海村に住んでいたのですが、その頃は、勉強なんかには見向きもせずに、海へ行っては泳いでばかりいる毎日でした。小学校高学年になって水戸市に転居しましたが、そこも「古式泳法」で有名な土地で、水泳にさらにのめり込むことになりました。将来はオリンピックの水泳選手になりたかった。両親はそんな僕のことをやさしく見守っていてくれました。
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