起業家・ベンチャーキャピタル・投資家を繋ぐコミュニティ・マガジン

Front Interview
第1話 第2話
第3話 第4話
Vol.003 グロービス経営大学院 学長 兼グロービス・キャピタル・パートナーズ 代表パートナー  堀義人第1話 起業へのプロローグ
コラム(1) パーソナル・データ(1)
めざせ、オリンピック!

 僕の父方の祖父(堀義路)は、27歳でケンブリッジ大学工学部に留学し、北海道大学や慶應義塾大学などで教授を務めた科学者でした。父も大学院を卒業後、海外で研究に従事し、茨城県東海村の原子力関係の研究機関の設立に関わるなどした科学者です。そのためか僕も小さな頃から海外へ留学することにあこがれを持っていましたし、当然なこととも思っていました。
  小学校低学年までは、茨城県の東海村に住んでいたのですが、その頃は、勉強なんかには見向きもせずに、海へ行っては泳いでばかりいる毎日でした。小学校高学年になって水戸市に転居しましたが、そこも「古式泳法」で有名な土地で、水泳にさらにのめり込むことになりました。将来はオリンピックの水泳選手になりたかった。両親はそんな僕のことをやさしく見守っていてくれました。


海外留学への夢がふくらみはじめる
 大学は京都大学の工学部に入学しました。大学時代は水泳だけでなく水球にもチャレンジしました。その当時もまだオリンピック出場への夢は強く持ち続けていました。しかし、学業のほうはというと、どうも祖父や父のように研究には向いていないのではないかと感じはじめていました。大学4年生になると学問を続けるか、就職するかでずいぶん悩んだのですが、結局大学院へは進まず、グローバルに活躍できる会社ということで住友商事に入社しました。
  住友商事で最初に配属されたのが商社の花形部門であるプラント貿易部門でした。入社してしばらくはマレーシアやタイなど東南アジアを駆け回って商談する毎日でしたが、大変充実していました。その頃から、頭の片隅には海外留学への夢が大きくふくらみはじめていました。

ハーバード・ビジネス・スクールへ
 住友商事で関わった、ある大型の商談が一段落した頃、いまこそ、子供時代からの夢でもあった留学を実現するときだと、行動を起こしました。まずは、会社にあった社内留学制度を活用しようと勉強をはじめたわけです。じつは大学時代に先輩から「MBAという資格があって、それを修得すれば給料が3倍になる」という話を聞いて信じ込んでいたこともあり、海外留学するならMBAの修得を目指そう、学校を選ぶならばハーバード大学にしようと決めていたのです。今でこそ、「MBAを取れば給料が3倍になる」なんてとんでもない話だということがわかりますが、当時は、その話を本気で信じていました。
  幸い社内の選考には合格したのですが、本当に留学するためにはハーバード・ビジネス・スクール(HBS)の選考に合格しなければならないことを知ったわけです。そこで、日常業務を続けながらTOEFLやGMATの勉強、諮問に当たるエッセイの提出などを行いました。エッセイを送ったあとは、本当に合格できるだろうかと、不安な日々を送りました。ですから、合格通知を受け取った日には、その日のうちにお世話になった方々や友人たちに電話をかけまくりました。20件から30件くらいだったでしょうか。当時としては住友商事から初めてのHBS留学ということで、ちょっと誇らしい気持ちもありましたが、なによりも嬉しい気持ちでいっぱいでした。



HC Asset Management Co.,Ltd