HBSを卒業すると住友商事に戻り、元居たプラント貿易部門に復帰しました。そのころ住友商事は、総合商社から総合事業会社へとパワーアップしようとしていました。「数と量を右から左へ流す」だけではなく、事業会社の集合体となっていこうとしていたわけです。この方向性には僕自身も同感でした。総合商社冬の時代と言われていて、単なる手数料商売では成長が見込めない、という危機感がありましたから。
僕自身は、この方向性を実現させるためにも新たな事業を起こすことが必要だと考えたのです。そこで2つの事業企画をまとめ、上司に提案しました。一つはパソコン通信事業、もう一つがビジネススクールの企画でした。しかし「プラント本部の事業としては領域が違いすぎる」と却下されてしまいました。
僕自身、提案した事業そのものの成長性を信じていました。だから、どうしても事業化したかった。そこで「社内事業提案制度」を作るように新規事業企画室にまで出向いて提案しました。でも新たな制度が作られることはありませんでした。
一般的に日本の大企業というものは、新しいビジネスの提案をしても「それはリスクが大きい」、「ここに問題がある」と、できない理由をたくさん挙げてしまうことが多いようです。これは安全とも言えますが、社員の発想をつぶしてしまうことでもあります。僕はそれまでの自分自身の経験から「最初から不可能だと決めつけられるようなものは一切無い」、そう自らを戒めるようにしています。 |