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Vol.007 株式会社ドリームインキュベータ 代表取締役会長 堀紘一第1話 夢の揺籃期
コラム(1) パーソナル・データ(1)
奔放な性格の向かう先
 僕は小さな頃から小説家になりたいという夢がありました。でも、夢だけでは食べていけないですから、現実問題として就職をしなくちゃいけない。大学時代、最初に就職先として考えたのは銀行でした。そして、三菱銀行(当時)から内定を貰ったんです。でも当時英国の公使だった父の耳にその話が伝わって、すぐに電話がありました。「お前の奔放な性格が銀行に向くわけないだろう」と叱られたのです。
  そこで考えたのが、小説家に一番近しいところだということで、新聞社を受けることでした。松本清張や司馬遼太郎も新聞社の出身ですし、新聞社に勤めていれば小説家になれるだろうと思ったわけです。
  さて、どの新聞社がいいのかと考えたとき、わが家では朝日新聞しか購読していなかったので、朝日新聞しか頭に浮かびませんでした。また、友達の父親や父の友人が朝日新聞社にいたこともあって朝日の内定を貰うことができたのです。

4年半の記者生活で得たもの
 就職が決まったというので、その件でいろいろと相談に乗ってもらっていた与謝野(馨・現衆議院議員)さんのところに挨拶に出かけたのです。当時与謝野さんは中曽根(康弘・元首相)さんの秘書でした。与謝野さんに「朝日新聞に決まりました」と挨拶していたところ、ちょうどそこに渡辺恒雄(現読売新聞グループ本社会長・主筆)さんがいらっしゃいまして、僕が朝日新聞に就職するということを耳にするや、「これからは読売の時代だ」と力説されるのです。そのあと、中曽根さんや与謝野さんまでが「読売に行け」と説得にまわるわけです。そこまで言ってくれるのならと思いまして、朝日新聞から大逆転で読売新聞に入社することを決めたのです。
  読売新聞に入社すると、まず北陸支局に配属されました。記者として最初の仕事は警察回りからでした。いわゆるサツ回りと呼ばれているものです。それから県庁当番、遊軍と3年8カ月ほど地方記者として経験を積んだあと、東京の経済部に戻り、こんどは兜記者クラブに配属されました。兜記者クラブというのは、東証が相手で企業名などを覚えるのには一番良いところでした。それから財政研究会、これは大蔵省の記者クラブですが、そこに所属して記者としてのキャリアをさらに積んだのです。
  そして4年半の記者生活を送りました。でも記者の仕事というものは期待していたのとは違って結局はサラリーマン勤めと何ら変わるところはなかったのです。その上拘束時間も長いですからね。ある時ふと、この仕事をだらだら続けていると辞められなくなってしまうのではないかと思いまして、辞める決心をしました。



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