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Front Interview
第1話 第2話
第3話 第4話
Vol.007 株式会社ドリームインキュベータ 代表取締役会長 堀紘一第2話 ベンチャースピリッツの芽生え
コラム(2) パーソナル・データ(2)
MBAパイオニアに続け
 リクルート用単行本がベストセラーとなり、三菱商事の中でもすこしは知られる存在になりました。しかし、中途採用だったものですから、「このまま広報室にいたのでは、うだつが上がらないぞ」と将来を心配してくれる人がいました。そして、その方から「推薦するからMBAに応募してみないか」と勧められたのです。
  当時、三菱商事は毎年300人の新入社員を採用しており、その中から5人は海外でMBAを取得させ、あと20人には語学研修生としてロシア語、中国語、ポルトガル語などの特殊語学を学ばせることになっていました。語学研修のほうはまだハードルが低かったのですが、MBAは人気があり、非常な難関でした。しかし、幸いなことに社内試験に受かり、ハーバードの試験も突破することができ、2年間ハーバードビジネススクールに留学することになりました。
  MBAといえば、今や日本でも名が知られるようになりましたけれども、当時は全然知る人さえいませんでした。日本におけるMBA取得者のパイオニアといえば、IBMの椎名(武雄・現日本アイ・ビー・エム最高顧問)さん、オリックスの宮内(義彦・現オリックスグループCEO)さん、キッコーマンの茂木(友三郎・現キッコーマン会長)さん、富士ゼロックスの小林陽太郎(現同社相談役最高顧問)さんあたりで、僕はそうした諸先輩の次の世代に当たるのです。

ブルース・ヘンダーソンとの出会い
 MBAを取得して日本に帰ったあとは、自動車部に配属となりました。いよいよ商社の中核である営業部門への配属です。自動車部の主な仕事は、三菱自動車の車をヨーロッパへ輸出するものでした。そして、自動車輸出専用船に車を載せて輸出するにあたっての通関などの事務手続きなどで稼いでいたわけです。
  日本の自動車は、性能は良い、壊れない、安いというので飛ぶように売れました。でも実際に売るのは海外の現地で、僕が日本で何をしていたのかといえば、書類作りです。この書類作りがじつに手間のかかるもので、車の形式とか色がちょっと違うだけでもまた別の種類を作らなければいけませんでした。
  ボストン コンサルティング グループ創業者のブルース・ヘンダーソンと会ったのはちょうどこの頃でした。ことの成り行きは、日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)に勤めている友達が、ボストン コンサルティング グループに転職したいと考えていて、彼は英語があまり上手くないものだから、付き添いとして面接に付いてきてくれと誘われたのです。それで、ブルース・ヘンダーソンと会うことになったわけです。
  会って話してみると、ブルースの英語というのは南部訛りが強くて、聞き取りにくいのです。最初のうちは、話の内容が難解で、何を言っているのかがわからない。「難しい人だな」というのが第一印象でした。しかし、ようく耳を傾けていると、ひじょうに洞察力に富んでいて、もののとらえ方、考え方が哲学的であることがわかってきたのです。




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