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Vol.007 株式会社ドリームインキュベータ 代表取締役会長 堀紘一第1話 夢の揺籃期
コラム(1) パーソナル・データ(1)
三菱商事広報室詰め
 読売新聞の次に勤めたのが三菱商事でした。当時はオイルショックのあとで、商社批判が激しく、やれトイレットペーパーを隠しているだの、洗剤を売り惜しみしているだのと、まるで諸悪の根源のようにいわれていました。あまりにバッシングがひどいので、商社のほうでも、これは何とか手を打たなければいけないと考えていたのでしょう。そんなところに新聞記者出身の私が入ってきたものですから、すぐに広報室を立ち上げて、そこに配属されることになったのです。
  商社というものはご存じのように与信機関としての面も持っていて、当時はその手数料商売で成り立っている部分が大きかった。しかしそれだけでは限界があると商社のほうでも危機感を持ちはじめていました。三菱商事でもシェーキーズやケンタッキーフライドチキンといった外食産業を日本に持ってきて新しいビジネスにしようと考えたのですよ。
  僕はケンタッキーフライドチキンの開業にあたって、ずいぶんお手伝いしました。外食産業の日本導入というのは初めてでしたから、とにかくプレスリリースの原稿から広告、オープニングの段取りまで。おもしろいものだから上司に許可を貰って積極的に手伝いました。

『時差は金なり』
 当時は広報室といっても社内ではできたばかりでしたし、存在感もありませんでした。ましてや、利益を生む部署でもなかったので、なんとか存在価値みたいなものを作り上げたくて、とにかく声がかかる仕事ならなんでもやりました。でもそんなふうにしていると、だんだんいろいろな部門から声がかかるようになってきました。
  そんなある日、人事部から声がかかり、三菱商事のリクルート用パンフレットをつくってほしいという話がありました。リクルート用のパンフレットをつくるにしても、他社と同じ物ではつまらない。「何とか読まれるパンフレットを作ってほしい」というのが人事部からのオーダーだったのです。たしか当時の予算が1,000万円ぐらいでした。それだけ予算があるのなら、定価をつけて、書店に並ぶちゃんとした本を作ろうということになったのです。貰った学生も定価が裏に書いてあるようなものであれば、そう簡単に捨てるはずもないだろうし、読んでみようかという気になるだろと考えたわけです。
「学生から金を取るのか」などという反対もありましたけれど、「実際に金を取るわけじゃなくて、学生に読ませるための仕掛けですから」って説得しましてね。そうしてできたのが、サイマル出版から出た『時差は金なり』という本だったのです。この本がたまたま朝日新聞の書評に取り上げられ、NHKや他のマスコミでも紹介されるようになり、映画化などという話まで出てきて、あっという間に40万部も売れるベストセラーになりました。当時、「儲かった金はどうする、広報室には売り上げなんて勘定科目はないぞ」などという冗談も出ました。
(9月13日更新 第2話「ベンチャースピリッツの芽生え」へつづく)



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