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Vol.010 株式会社ネットエイジグループ 代表取締役CEO / ネットエイジキャピタルパートナーズ株式会社 代表取締役社長  小池聡第4話 経営者よ学べ
コラム(4) パーソナル・データ(4)
ネットイヤー、日本へ
 僕が米国でMBOにより独立した1998年は、米国ネットバブル頂点の頃でした。実はバブルの時期というのは、さまざまな人が参入してくるし、お金もだぶつき気味になり、ビジネスとしてはあまりうまみのない時期なのです。そこで日本への進出を考えたのです。当時の日本は、長く経済が停滞していた時期でした。僕自身、米国のブームは数年遅れて必ず日本でも起こるという確信がありましたので、同じモデルを日本に持ち込めば先行者メリットを必ず取れると考えたのです。
  もう一つの理由、といいますか思いは、外から見て日本経済が瀕死の状態に見えるのがたいへん悔しかったのです。何とか日本経済を立ち直らせる一助になれないかという使命感のようなものがありました。
  そして、1999年、日本にネットイヤーグループを作ることにしました。社長はスタンフォード大学でMBAを修得し、シリコンバレーでコンサルティング会社を経営していた石黒(不二代・現社長兼CEO)さんにお願いしました。この会社は、日本のネットバブル崩壊を乗り越え社員100人を超えるまでに成長しました。

ネットエイジ創業
 ネットエイジ創業者の西川(潔・現ネットエイジグループ社長)さんとの出会いは10年前にさかのぼります。僕が仕事で日本に出張してきたとき、たしか1996年頃でしたが、ISIDの後輩が開いたワインパーティーがあり、そこで、当時AOLジャパンに勤めていた西川さんと出会ったのです。
  僕がベンチャー企業のインキュベーションをしているという話に、米国のアイデアラボというインキュベーターを参考に起業したいと考えていた西川さんは大変興味を持ちました。その後、情報交換しながらアイデアを暖め、1998年2月にネットエイジが誕生したのです。当時、西川さんは日本で、僕は米国で事業をやっていこうと考えていました。しかし1年後に僕は日本に戻ってくることになりました。
  2004年、僕はネットイヤーグループから投資部門を分離させ、ネットエイジと統合させました。これが今のネットエイジグループです。2006年8月には東証マザーズにも上場させることができました。僕にとってネットエイジグループという会社は、創業者ではありませんが、創業時から関わり上場まで持っていくことができたので、究極のハンズオン、インキュベーションができたと思っています。

アフター・ザ・ゴールドラッシュ
 今から振り返ってみると、米国のネットバブル期には、米国人はもちろんですが、中国人やインド人、韓国人などさまざまな国の人々が集まってきました。19世紀に同じく米国で起こったゴールドラッシュのように、なりふり構わず「金」を堀りに人々が集まってきたのです。
  ところが、20世紀のゴールドラッシュに日本人の姿は見ることができませんでした。現地には日本企業の米国駐在員がたくさんいたのですが、彼らが何をしていたかというと、「米国ではこんなことが起こっています」というレポートを書き日本の本社に送っていただけなのです。僕はネットバブルというゴールドラッシュで何が一番ビジネスになるかということを考えたとき、ネット企業に投資したりインキュベーションを行うベンチャーキャピタルがそれになるだろうと答えを得て、ビジネスを始めたわけです。
  日本人は金脈があるのになぜそれを掘ろうとしないのか。海外に出て成功を収める人々には失敗を恐れない、失敗こそチャレンジの結果だと評価する価値観があります。ところが、日本人の多くは失敗を恐れチャレンジをしません。そうした日本人のカルチャーが原因なのでしょう。しかし、日本人は豊かな文化とそれを生みだしてきた資質を生来的に持っています。そこを十全に活かした独自のアイデアで世界を目指してほしいと思います。



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