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Front Interview
第1話 第2話
第3話 第4話
Vol.014 ベスタクス株式会社 社主 椎野秀聰第2話 原点から、源流から
コラム(2) パーソナル・データ(2)
グレコギターを売り出す
 私自身はヤマハを退社したあと、まず音楽か楽器の評論家になろうと思っていました。しかし業界誌の社長から「お前はたんなる批評家に過ぎない」と言われてしまいました。なるほどと思い、それで評論家の道は断念しました。
  さて、ではどうするかと、旧知の神田楽器の社長の所に挨拶に行ったのです。そこで紹介されたのが富士弦楽器製造(現フジゲン)という会社でした。富士弦楽器製造の横内社長という方は、会っていきなり「あなたが居ると物が売れるらしいから、ここで儲かることを考えてください」と言って社長室を私に明け渡してくれたのです。
  富士弦楽器製造というのは”グレコ”というブランドのエレキギターを作っている会社でした。しかし製造している人たちは、自分が作っているギターがどのように演奏されているのかを知らなかったのです。そこで工場に成毛滋(ギタリスト)さんを呼んで、実際に弾いているところを見てもらったり、成毛さん本人から「こんなぐあいに作ってよ」というアドバイスをいただいたりして、新しい商品を開発したのです。完成したギターには「ジミー・ペイジも成毛滋もグレコギター」というキャッチフレーズを付けて売り出しました。

本物を訪ねる旅
 グレコのギターはまたたく間に当時の若者の間に広まりました。その成功で自信をもてるようになり、その後は本格的に楽器の設計やマーケティングに取り組むようになりました。当時、日本の楽器製造会社は、外国製品の見よう見まねで始めた会社が多かったので、楽器づくりの技術もノウハウもありませんでした。私は直接米国に行き、ギブソンやフェンダーなどメーカーへ工場見学に行ったり、ヨーロッパのギターづくりの巨匠と呼ばれる方々の工房にうかがったりして、どのように作っているのか、どのような技術が使われているのかをじっくりと観察してきました。
  海外の楽器工場や工房を見て確信したのは、「日本の楽器づくりの環境技術は負けていない」ということでした。しかし楽器の肝心要となる木材の「音」に大きな影響を与える「季候」だけは日本にもってくることはできません。いくらシーズニング工場を造ってみたところで、あの乾燥した空気だけは真似できないのです。
  きちんととした楽器の作り方を勉強してから製造をはじめると、しばらくして「先生」と呼ばれるようになっていました。年はまだ30歳前でしたから、先生などと呼ばれることを面はゆく思っていました。


(4月18日更新 第3話「起業するは我にあり」へつづく)  




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