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Vol.017 独立行政法人中小企業基盤整備機構 理事 後藤芳一第1話 反骨から気骨へ
コラム(1) パーソナル・データ(1)
後藤君がいなくなった

 私が生まれたのは1955年。場所は大阪の吹田市です。父は地方公務員でした。私は子供の頃から、気ままなうえに理屈っぽいところがあったようです。ですから素直に親の言う通り、教師の言う通りにはならない。幼稚園で、歌、絵、工作、遊技などを日替わりでする時間がありましたが、工作が好きだった私は、「きょうも工作」と主張して、結局、先生がそれを聞いてくれたこともありました。 歌ばかりの日には勝手に家に帰ってしまい、「後藤君がいなくなった」と騒ぎになったこともあります。
  こういう性格でしたので、親や教師からは、「人とずれている」「理屈を言わずに」などとよくいわれました。小学校2年の時の通知表には「お友達をばかにしないように」とも書かれて、それを見た親からここぞと注意されたこともありました。しかし、わざと反発していたわけでもなく、自分なりにいいと思うことをしていましたので、「えっ、これはまずいのか」と、気をつけようとは思いましたが、性格はそう変わりませんでした。もちろん尊敬できる先生もいました。小学6年の時の担任には、卒業時に「カミソリだけでなく、ナタの切れ味も」と言われ、この言葉には感銘しました。
  最近は自由尊重で「自分の好きなように、思う通りにしなさい」という教育があるようですが、もし私がそこにいたら、逆に目安になるものがなくて困ったかもしれません。また、もし立派すぎる親であれば、親に叱られるたびに萎縮していたと思いますが、私の親は普通の親でしたし、私への過剰な期待もなかったようなので、その点は感謝しています。


柔よく剛を制さず
 中学は、大阪教育大学付属天王寺中学校に進学しました。同校は体育が盛んで入学試験に逆上がりなどの科目があります。ですから入学したら体育系のクラブに入部するのが普通でした。私は担任が柔道部の顧問だったこともあり柔道部に入りました。「柔道は、体が小さくても大きな人を投げられる」と思ったわけです。しかし、すぐ分かったのは、大きい人を投げるには、人より運動神経がよい、腕力が強いなどの前提条件がある、ということでした。同じ条件ですと体も大きく力も強い方が有利です。こちらは、運動神経も力も、特別ではないので、いいことがありませんでした。また、練習で頭をぶつけて家に帰ると痛くて勉強をする気も起こりません。そのため早々に柔道部を辞めました。そういう学校ですから、クラブをやめると、結構居づらいものがありました。成績も良くありませんでした。同級生が135人いましたが100番以下になったこともあります。
  子供の頃から囲碁や将棋が好きでした。祖父が、囲碁が強かったので、 家では、囲碁は無条件で奨励という扱いでした。社会人になるとそれが高じて、年収の1カ月分を囲碁に投入した年もありました。碁盤の専門店で話を聞いたりして、碁盤を作る榧(かや・イチイ科カヤ属の常緑針葉樹)のことやゴケのこと、石のことまで詳しくなりました。
  麻雀は、大学時代にワンダーフォーゲル部で覚えました。大学3年の頃に、雑誌『プロ麻雀』が主催した「阿佐田哲也杯(現・麻雀王座決定戦)」が始まりました。ベテラン向けは、『近代麻雀』が主催していた「かきぬま王位杯」でしたが、阿佐田杯は若手の登竜門とのふれこみで始まりました。第3期の阿佐田杯準決勝で第5位になりました。決勝にいく次点でしたね。ちょうど、はじめて2、3年で、引きの強い時期でした。同世代には、現在東大出身の麻雀プロとして活躍している井出洋介さんがいました。





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