1981年から1983年と1988年から1990年に、通産省の機械情報産業局で航空機を担当していました。かつて、YS-11の事業を政策として進めた課です。私は、ボーイング767や777やFSX(次期支援戦闘機)などのプロジェクトに関わりました。
たとえば767では、国が三菱重工などのメーカーに開発費の半額136億円を補助しました。補助金は航空機が売れるごとにメーカーから返済されて、結局、全額が戻りました。この補助が側面支援となり、767では15%であった日本メーカーの開発・生産比率は、最新の787では35%にまで高まりました。
航空機の仕事で痛切に感じたのは、「技術の優位が、事業の成功に直結しない」という事です。「技術はよかったんだけど」というフレーズを何度聞いたことか。たとえば、YSは優れた飛行機でしたが、事業として成功しませんでした。その教訓は「個別の製品として優れていても、商品ラインとして提供できなければだめ」ということです。ロッキード社のトライスターも、優れた自動操縦装置をもつ名機でした。ダグラスにも、すばらしい技術がありました。が、結局残ったのはボーイング。ハイテクに見える航空機でも、技術は必要条件のひとつということです。 |