ベンチャーに最初に関わったのは、1980年代中ごろに、研究開発型企業育成センター(VECの前身)の債務保証の委員会に出席したときです。初代の委員長は本田宗一郎さんで、1980年代の当時は牧野昇さんでした。これは、目利きについて考えるきっかけになりました。ただ、本格的にベンチャーに関わるようになったのは、2001年に京都リサーチパーク(KRP)で「KRP新規事業支援者育成塾」を始めたときです。起業家を支援する専門家である公認会計士、税理士、弁理士、弁護士などを対象にしました。この塾は通産省の仕事ではなくて、個人として関わったものです。週末に開催しました。 KRPは、大阪ガスが作ったビジネスインキュベータで、西日本では随一といわれるものです。塾を企画したねらいは、第1に、KRPがベンチャーに場所を提供する、いわばハードの事業と、この塾のようなソフトの事業を合わせて行うことで、相乗効果をもたらすことです。第2には、ほかでもできる起業家向けでなく専門家向け、つまりは生徒向けでなく先生向けの取り組みを行うことで、KRPのポジションを一層確固たるものにすることでした。実際、兵庫や大阪から大勢の参加がありました。その成果としては、バイオベンチャー支援人材の育成カリキュラムを作り、塾の4年目からはそれを用いた専門家の育成を軌道に乗せたことがあります。私が関わったのは、最初の2、3年でしたけど。そういう塾でしたので、賛同してくださる方を講師にお願いしました。当時の講師のなかには、井上(潔・トランスサイエンス)さん、川分(陽二・フューチャーベンチャーキャピタル代表取締役)さん、北地(達明・トーマツ)さん、NEDOの福祉用具事業で関わりのあった山藤(清隆・紫明半導体)さん、環境でご一緒した熊野(英介・アミタ)さんなどがいました。いまの仕事でもおつき合いをいただいている方々です。
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