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Vol.017 独立行政法人中小企業基盤整備機構 理事 後藤芳一第3話 血涙の意志
コラム(3) パーソナル・データ(3)
標準はコミュニケーション
 通商産業省で、福祉用具のあと環境を担当しました。当時、環境ホルモン、土壌汚染、ダイオキシンが騒がれていました。私の仕事は、環境と産業のあいだに挟まります。でも、環境だけ、産業だけでは社会が続きません。そこで、選択肢があるときは、筋がとおり気合が入った取り組みをしている方を選びました。その結果、省内の課長がどなり込んできたり、べつの件では逆に環境庁の課長から、そうキツく考えなくてもといわれました。まあ、問題なく対処しましたけど。環境問題は経済や社会との調和といわれますが、どうすれば調和するかという方向を示していくことが大切で、足して2で割ればバランスが取れるというものではありません。 その後、産業技術環境局の標準課では、企業の社会的責任(CSR)に関わりました。いまISO26000(組織の社会的責任に関する国際規格)として作業が進んでおり、2009年に発効の予定です。標準課に着任したとき、標準とは何だろうと考えました。新しい部署に移ると、基本知識や過去の経緯を勉強します。でも、まず大切なのは、基本になるコンセプトです。着任後すぐに議論したときに「標準とは、コミュニケーションではないか」と言ってくださった方がいます。  結局、標準課の仕事では、それが基本テーマになりました。標準として形をとるのは規格ですが、めざすのは、それを通じて生産性、安全、環境、流通、貿易を進めることです。で、それらを包括するコンセプトが、コミュニケーションというわけです。その意味では、工業品の規格から農畜産品のトレーサビリティまでもが標準です。「要は何か」と問いつめることを、深いところまでやっておきますと、個別の議論がたくさん出てきても、ブレにくくなります。

ベンチャーとの接点

 ベンチャーに最初に関わったのは、1980年代中ごろに、研究開発型企業育成センター(VECの前身)の債務保証の委員会に出席したときです。初代の委員長は本田宗一郎さんで、1980年代の当時は牧野昇さんでした。これは、目利きについて考えるきっかけになりました。ただ、本格的にベンチャーに関わるようになったのは、2001年に京都リサーチパーク(KRP)で「KRP新規事業支援者育成塾」を始めたときです。起業家を支援する専門家である公認会計士、税理士、弁理士、弁護士などを対象にしました。この塾は通産省の仕事ではなくて、個人として関わったものです。週末に開催しました。  KRPは、大阪ガスが作ったビジネスインキュベータで、西日本では随一といわれるものです。塾を企画したねらいは、第1に、KRPがベンチャーに場所を提供する、いわばハードの事業と、この塾のようなソフトの事業を合わせて行うことで、相乗効果をもたらすことです。第2には、ほかでもできる起業家向けでなく専門家向け、つまりは生徒向けでなく先生向けの取り組みを行うことで、KRPのポジションを一層確固たるものにすることでした。実際、兵庫や大阪から大勢の参加がありました。その成果としては、バイオベンチャー支援人材の育成カリキュラムを作り、塾の4年目からはそれを用いた専門家の育成を軌道に乗せたことがあります。私が関わったのは、最初の2、3年でしたけど。そういう塾でしたので、賛同してくださる方を講師にお願いしました。当時の講師のなかには、井上(潔・トランスサイエンス)さん、川分(陽二・フューチャーベンチャーキャピタル代表取締役)さん、北地(達明・トーマツ)さん、NEDOの福祉用具事業で関わりのあった山藤(清隆・紫明半導体)さん、環境でご一緒した熊野(英介・アミタ)さんなどがいました。いまの仕事でもおつき合いをいただいている方々です。





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