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Vol.021 株式会社アドウェイズ 代表取締役社長CEO 岡村陽久第1話 まっすぐに生きる
コラム(1) パーソナル・データ(1)
高校勇退
 しかし、高校生活はまったくおもしろくありませんでした。中学までの友達は話していても面白い連中が多かったのですが、高校の同級生たちは勉強や部活動の話題ばかりで、話していてもつまらないのです。私にとって学校とは、勉強以外の部分がとても重要だったのですが、高校というところは勉強中心に動いているように思えたのです。授業が終わっても遊びに行けずに悶々としていました。唯一の楽しみだったのが柔道の部活でした。
 入学してから2カ月目ごろからあまり学校へ行かなくなりました。行っても途中で帰ってきてしまったり、保健室で朝から時間を潰したりしていました。結局3カ月程で高校は中退しました。高校を辞めてから4〜5カ月は何もしないで過ごしていました。
 学校に行かずブラブラしているというのは最初は楽しいものだったのですが、次第に飽きてきてしまいました。働かなければまずいだろうという気持ちになり、そこで仕事を探すことにしました。
 高校中退ですから、ちゃんとした職業に就くのは難しいだろうなとは感じていました。しかし、幸いなことに体だけは丈夫でしたから、ガテン系の仕事ならできるだろうと思っていたのです。コンビニで就職情報誌を買ってきて仕事を探していきました。その中に「月給24万8,000円。やればやるほど高収入」と書かれた求人広告を見つけました。仕事をすればするほど収入になるのですから、「これはやりがいがありそうだ」と思いました。早速その会社に連絡を取り面接に行きました。

気持ちでは負けたくない

 そこは社員が100人ほどで、アルミ製のベランダやテラス、駐車場の屋根などを訪問販売している会社でした。そこで面接官から「工事部はもう定員になったから営業部に入らないか」と言われたのです。私自身は営業の仕事などつとまらないと思ったのですが、他に仕事の当てがあるわけではなく、とにかくやってみようと思い入社することにしたのです。工事の仕事をするつもりが営業マンになってしまったのです。
 会社には入ったものの、最初のうちは自分に営業ができるとは思っていませんでした。しかも社員の中では私が一番若かったので「体力では絶対に負けない」「気合いと根性だけは負けないぞ」と決意して仕事に取り組みました。事務所の壁には営業マンの売上げグラフが貼り出されてあり、それを見て自分も良い成績を残そうと決心しました。
 とはいってもそう簡単に商品が売れるわけはありません。訪問するたびにお客様には断られ続けました。しかし、あきらめることなく、雨の日も、風の日も、暑い日も、寒い日も家々を訪ねて回りました。私は他の人より一軒でも多くの家を回ろうと、他の人が歩いているところを、家から家へと走って回りました。一軒断られると他の人は「次もダメじゃないか」「次も断られるかもしれない」と思うのでしょうが、私は気持ちでは負けたくないと思い、へこたれず次から次へと家の呼び鈴を押しました。

(11月14日更新 第2話「千載一遇」へつづく)




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