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Front Interview
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Vol.021 株式会社アドウェイズ 代表取締役社長CEO 岡村陽久第2話 千載一遇
コラム(2) パーソナル・データ(2)
営業開眼
 その時私は17歳でした。そこで、今度は電話では年齢を言わずにある会社の面接に出向きました。面接が進むにつれ。当然年齢が問題になりました。そして、面接官だった課長から採用を断られました。私はどうしても働きたいと思っていたので「上の人と話をしたい」と言いました。それで課長から部長、副社長と順番に出てきてもらったのですが、その度に断られます。その気配を察したのでしょう、奥の部屋から社長が出て来ました。私は「採用して欲しい」と社長に訴えたのです。そこで社長が「私が責任を取る」と、見習いということで採用が決まったのです。それが株式会社近畿設備でした。
 近畿設備を選んだのは東京で1年半の営業経験のある「住宅」に関係のある事業を営んでいたからです。東京ではエクステリア関係の訪問販売でしたから、今度はインテリアやリフォームなど家の中のものを売りたかったというのがあります。近畿設備は換気扇のフィルターが主力商品でした。
 換気扇のフィルターの販売は、はじめて見るととても売りやすい商品でした。また、実際にお客様の家を訪問して売るまでのプロセスは同じだったのですが、ある時、契約を結べたお宅で、お客様に玄関まで送っていただき、「こんな商品があって良かった」と喜んでいただき、「ありがとう」とまで言ってもらえたのです。それ以来、「こんなに良い仕事はない」と仕事に励めるようになりました。前職では、嘘にならない程度に商品を良く見せることばかり考えていましたから、商品が良ければ売って感謝されるし、自分は良いことをしているという快感を味わえることに目覚めたのです。

起業への道標
 近畿設備での最後の1年は新大阪営業所の次長を務めました。営業で回るだけでなく営業マンたちを叱咤激励する役割もあります。しかし他人を叱る役は、自分が売れないととてもつらい思いをします。営業の仕事は波がありますから当然、私にも売れない日が当然あります。これが1日で済めば良いのですが、2日、3日と売れない日が続くと社員の目もより厳しくなります。会社の中で、商品が売れずに会社を辞めてしまうことを「飛ぶ」と言っていたのですが、私も売れない日が続いて飛びそうになったことがあります。その時は何日も商品が売れず、仕事をする気がまったくなくなってしまったのです。会社も無断で休んでしまい自宅で何をするでもなくボーッとしているところへ、新大阪営業所の西村所長から電話があったのです。「怒らないから戻ってこい」と。その言葉を聞いた時は涙が出るほど嬉しかったです。そして、仕事に復帰することもできました。
 近畿設備で実績を積み重ねていくにつれ、個人相手ではなく、法人相手の営業をしてみたいと思うようになりました。それまでは作業着のような制服で営業をしていたのですが、スーツを着て営業をしてみたいと思うようになったのです。それがちょうど2000年、20歳の頃でした。
 そんなある日、テレビを見ているとサイバーエージェント上場のニュースが流れていました。藤田晋社長は弱冠27歳で上場企業の社長になったというのです。藤田社長はインタビューで「サイバーエージェントは広告を変える」、「インターネットは無限の可能性があり、今は1000年に一度のチャンスだ」と答えていました。「これだ」と思いました。小さい頃は会社の社長になるなど夢のまた夢としか思っていませんでしたが、インターネットの世界なら私も社長になれるかもしれないと思ったのです。その時考えついたのがサイバーエージェントに入社して、インターネット勉強をし、5〜6年したら起業しようということでした。

(11月21日更新 第3話「リスクテイク」へつづく)  




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