僕は、東京・杉並の善福寺で生まれ育ちました。子供時代の成績表には、人を冷やかしてばかりで困るとよく書かれていました。また、授業中にそっと抜け出して外で遊んでいて、他のクラスの先生に見つかって立たされたとか、教室の戸を完全にクギで打ち付けて先生が入れないようにしたりとか、まあ、とにかく悪ガキ、という感じでした。
高校は都立の大泉高校で、当時、早稲田に100名・慶應に50名が合格するような、普通に勉強していれば大学に受かる、そういう学校でした。兄二人も慶應だったので、大学を選択するという感じでもなく、自分も慶應へ行くのだろうな、くらいの意識でした。のんびりとしたいい高校で、あまり勉強しませんでした。校内放送で「片岡くん、先生が呼んでいます」とよく呼び出されました。職員室に行ってみると、「おう、将棋やろう」とさそわれて、「一応受験生なんですけれども」といいながら、先生の相手をしていました。それから、よく学校をサボって、友人と石神井公園でこっそりボートをただ乗りしていたのですが、ある時、体育の先生が通りかかって、「俺にも乗せろ」と言われて、「先生、これ、お金、払ってないよ」といったら、払ってくれました。
いつだったか、学校を進学中心にしようとした校長が赴任してきてスポーツや文化活動を縮小しようとした時も、生徒みんなで反対運動をしました。今もいろいろ自由勝手にしていますが、当時から制約というのが嫌いで、それを感じたり受けたりすることがないように、場を変えて行こうということだったと思います。
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