これまでの自分の来し方を振り返ってみると、私にとって人生最初の仕事と呼べるものは、学生時代、急速に規模を拡大していた父のウサギ農場でウサギ小屋の清掃をするという役割を与えられたことだったと思います。これがなかなか大変な役目で、1年365日、昼夜を問わず、約60匹のウサギの世話をしました。餌を与える予定を立て、その手配・管理を、学校に通いながら行っていたのです。特に冬の間は、水がすぐ凍ってしまうため、ウサギ小屋を常に清潔にしておかなければならなかったことはとてもつらい仕事でした。
ある夜、私が知らない間に子ウサギが生まれていましたが、翌朝、ウサギ小屋に行ってみると、あまりの寒さに耐えられずに凍え死んでいました。こうしたことはたびたびありましたが、ウサギは販売目的で飼われていたため、ウサギの世話は、父の事業にとって重要な仕事だったのです。いかに効率よく作業処理できるか、仕事の手順を考え抜いておかなければ、上手くやり遂げることはできませんでした。そういう意味では、私が仕事の効率化について考えた最初の試練だったといえるかもしれません。
両親は、私を聖職者にしたかったようですが、その意に反して、私は18歳で家を離れて独立し、複雑な鉄骨構造を設計する分野で国際的な仕事を請け負うスイスの「サーゲセル(Saegeser)」という会社に入りました。この会社はもうありませんが、そこで働いている時に、ディズニーランドの回転木馬を建設するため、ロサンゼルスに派遣されたこともありました。
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