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Front Interview
第1話 第2話
第3話 第4話
Vol.034 アドベック CEO ブルーノ・ラシュレ第1話 自立
パーソナル・データ(1)
ウサギ小屋の教訓
 これまでの自分の来し方を振り返ってみると、私にとって人生最初の仕事と呼べるものは、学生時代、急速に規模を拡大していた父のウサギ農場でウサギ小屋の清掃をするという役割を与えられたことだったと思います。これがなかなか大変な役目で、1年365日、昼夜を問わず、約60匹のウサギの世話をしました。餌を与える予定を立て、その手配・管理を、学校に通いながら行っていたのです。特に冬の間は、水がすぐ凍ってしまうため、ウサギ小屋を常に清潔にしておかなければならなかったことはとてもつらい仕事でした。
 ある夜、私が知らない間に子ウサギが生まれていましたが、翌朝、ウサギ小屋に行ってみると、あまりの寒さに耐えられずに凍え死んでいました。こうしたことはたびたびありましたが、ウサギは販売目的で飼われていたため、ウサギの世話は、父の事業にとって重要な仕事だったのです。いかに効率よく作業処理できるか、仕事の手順を考え抜いておかなければ、上手くやり遂げることはできませんでした。そういう意味では、私が仕事の効率化について考えた最初の試練だったといえるかもしれません。
 両親は、私を聖職者にしたかったようですが、その意に反して、私は18歳で家を離れて独立し、複雑な鉄骨構造を設計する分野で国際的な仕事を請け負うスイスの「サーゲセル(Saegeser)」という会社に入りました。この会社はもうありませんが、そこで働いている時に、ディズニーランドの回転木馬を建設するため、ロサンゼルスに派遣されたこともありました。

学生起業家
 1974年、スイス連邦工科大学(ETH)チューリッヒ校に入学しました。勉強しながら働き、最初は自営の建築デザイナーとして、その後は、連邦工科大学のアシスタントとして、リサーチ・プロジェクトの責任者を務めるなど、勉強と仕事を両立させることに専心していました。とはいえ、在学中には、自由な時間を利用して、紅海へのスキューバダイビング旅行を企画したりしていました。30名ぐらいの参加者を募り、5〜6台のバンを連ねて旅行し、夜はベドウィン族のキャンプのテントで寝たりしました。旅行は大成功に終わり、貴重な経験ができました。
 1978年に大学を卒業しました。そして、30歳の時、大学院での研究を目的にスタンフォード大学の大学院で、インダストリアル・エンジニアリング、エンジニアリング・マネジメントを学びました。学業以外にも多くの仕事に携わっていましたので、学生生活は極めて多忙なものでした。入学して6週間後、私と友人2人で「コンシューマー・エレクトロニクス会社」というベンチャー企業を興しました。
 スタンフォード大学では、数多くの優秀な学生や、すばらしい教授の方々に出会うことができ、その後の私の人生に多大な影響を与えることになりました。学校や大学で学んだことは、私が人生の節目で直面した困難な課題に対して、可能な限り、解決策を見出すという面で、とてもいい基盤になったと思います。専門的な技量を身に付ける上での忍耐力、また時には根気や自信といったものが、私自身にとって大きな力となり、その後の将来における私のトレードマークに育っていったものです。




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