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Front Interview
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Vol.031 株式会社ガバナンスビジョンズ代表取締役社長 小林久仁子第1話 異端
コラム(1) パーソナル・データ(1)
反抗・反発・反逆
 母親が敬虔なクリスチャンだったからでしょうか、小中高とカトリック系の雙葉に通いました。小学生までは教会へミサにも行っていたのですが、中学2年生くらいからシスターや学校の先生に反抗するようになりました。お嬢様学校でしたから、勉強はもちろん礼儀作法にも大変厳かったのですが、教育方針の一つにあった「いい母親になる」ということには疑問を持ちました。女性だからといって必ずしも母親になるとは限らないわけですし、勝手に決め付けないでほしいと反発したわけです。そのころですが「カトリック要理にいうところの神様がいるなら今すぐに証明してください」といって、シスターたちを困らせたこともあります。
 その当時は70年安保やベトナム戦争の影響もあって、小田実さんや開高健さんの著書を読んだり、マルクスやサルトルにかぶれたりして、お嬢様学生とは縁遠かったと思います。クラスメートから見れば変わり者に映ったでしょう。シスターや先生はさぞ手を焼いたことでしょうし、優等生ではなかったと思います。
 これは社会人になってから知ったことですが、私が雙葉小学校に入学して間もないころに、父親の経営する会社が立ち行かなくなったそうです。父親はMSシュレッダーの前身になる会社を友人たちと起業したのですが、仲間の裏切りにより会社を解散せざるを得なくなったのです。それで母親が娘の学費もあるからと、父親にサラリーマンとして働いてほしいと頼み込んだようです。それから父親は荏原製作所でサラリーマン生活を送ることになるのですが、ほんとうは自分で新規に事業をやりたかったみたいでした。感謝する反面、申し訳ない気持ちもあります。

早稲田大学法学部へ
 子どもの頃からピアノを習っていました。ピアノは1人で弾くことが多く、そのうちに大勢で演奏をしたいと思うようになってきました。ピアノでバイオリンの伴奏をしたことがきっかけで室内楽団に所属し、17歳からバイオリンも習うようになりました。ピアノとバイオリンをやっていましたので、音楽大学に進学することも少しは考えましたが、将来音楽で生計を立てていくことは大変だろうと思い、その道はさすがに選びませんでした。
 高校のクラスメートは慶應義塾大学、上智大学、聖心女子大学などの英文学科に進学する人が多く、それがお嬢様高校の王道のようにいわれていました。英語は得意のほうでしたが、語学はあくまでツールにすぎないと考えていましたから、大学で勉強するなら自分の核になるような学問がいいだろうと思っていました。それには文学部より法学部や経済学部が適していると勝手に思い込んでいたのです。そのうえ、読書が大好きだったので、法学部に進めばたくさん本が読めるだろうという軽い気持ちもありました。早稲田大学の法学部に進学が決まったときも高校の先生から「なぜ男子学生ばかりの法学部に行くのですか」と不思議がられたくらいです。
 私が入学した当時の法学部の学部長は西原春夫先生で、のちに早大総長になられた方です。初めての講義で学生たちを前にして西原先生がおっしゃった言葉は今で鮮明に覚えています。先生は「この中には女子学生もいます。男子学生のみなさんも全員が法律家になるとは限りません。ではなぜ法律を学ぶのか、法律を学ぶことがどういうことに役立つのか。それはみなさんが社会に出たときに、比較考量するという物事の考え方を身につけてほしいからです」と教えてくださったのです。いろいろな要素を分析して、どちらのプライオリティが高いか判断を下していく、という法律的な物事の考え方は今でも大いに役立っています。




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