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VC vision
前編 後編
第30回 地域と育つベンチャー 前編 社会貢献と投資活動
大阪と兵庫にまたがる地域を地盤とする池田銀行グループの池銀キャピタルが、
投資業務を本格化させたのは2003年。
本体の池田銀行の融資業務と連動して投資先企業の成長に寄与するスタイルは、
地銀ならではのものといえる。
新産業、成長産業への投資に狙いを定める池銀キャピタルの投資戦略について、
後発ベンチャーキャピタルとしての課題も含め、
その考え方のエッセンスを代表取締役社長の神保敏明氏に聞いた。

interviewer:森本紀行(ベンチャー座アドバイザー、HCアセットマネジメント代表取締役社長)

池田銀行グループとして設立

【森本】 大阪を地盤にする地方銀行の池田銀行が、池銀キャピタルを設立してベンチャーキャピタル事業を取り組み始めた時期とその狙いについてお話いただけますか。
【神保】 私自身は直接設立に関わってきたわけでありません。ですので、池田銀行グループとして池銀キャピタルを設立した狙い、経緯については概略的にしかお話しできませんが、池銀キャピタルは、法的には設立されてから20年の歴史を持っています。もともと池田銀行グループにはノンバンク事業を行う会社が複数ありました。それらを統合して、それまでの貸金業、抵当証券の事業に加えて、投資事業の展開を新たに目指して作られたのが池銀キャピタルです。そして、この投資事業に集中して取り組み始めたのが2003年のことになります。ですから、会社組織としての池銀キャピタルの歴史は古いのですが、専門の投資会社としての歴史は新しい会社だといえます。
【森本】 2003年に投資会社として本格化させた際のスタッフは、銀行からの出向社員で始めたのですか。
【神保】 ええ、内部の人間で固めた構成でスタートしています。池銀キャピタルの投資事業自体も、銀行のある部署のメンバーが立ち上げたもので、そのメンバーが専任で出向する形で始めたものです。会社設立に関わった人間は、今は残っていませんが、ただ、営業には、当初から関わっている人間もおります。
【森本】 ベンチャーキャピタルの経験者を外部から入れないで、投資活動のノウハウをどのように確立していったのですか。
【神保】 基本的に内部での研究、育成、それから、外部のベンチャーキャピタルで研修を受けてノウハウを輸入する方法を取っています。
【森本】 どのようなベンチャーキャピタルに行かれたのですか。
【神保】 池田銀行と取引のあるところです。上場している大手のベンチャーキャピタルや、池田銀行が親密にしている銀行系のベンチャーキャピタルなどです。
【森本】 池銀キャピタルの社長になるまでの神保さんの経歴はどのようなものですか。
【神保】 私自身にはベンチャーキャピタルの経験がありません。池銀キャピタルにも途中から参加している形です。私は、もともと、大学を卒業してから和光証券(現新光証券)に長く勤めていた人間で、調査部門に在籍していました。縁があって、2003年に池田銀行にお世話になることになって、今、池銀キャピタルの社長に就任しています。証券会社時代には、リサーチャーとして中小型株を専門にやっていました。20年近く中小型株をみていたので、その点を評価いただいて、池田銀行に声をかけていただいたと思っています。
【森本】 和光証券時代にも、ベンチャーキャピタルの事業についてはご存知だったのですね。
【神保】 はい、概念的には知っていたつもりです。上場株といいますか、セカンダリーの銘柄と同時に、公開前の銘柄をバリュエーションする仕事にも引受けの営業開拓部門と一緒に関わっていましたので、接点がまったくなかったわけではありません。
【森本】 転籍の決断は早かったのですか。
【神保】 私自身としては、渡りに船という感じでした。2000年ぐらいから証券界はいろんな意味で流動的になっていて、人の動きが非常に活発でした。その流れに乗ったという感じでいます。

銀行業務以外に投資業務を一つの柱に

【森本】 地方銀行が取り組むベンチャーキャピタル事業を、どのように捉えていらっしゃいましたか。
【神保】 池田銀行にとっては、これから始める新しい部門になりますので、やりたいことができる、という期待のほうが大きかったですね。それじゃ、証券会社時代はやりたいことができていなかったのかというと、そういうわけではありませんが、新しい環境を求めていたということがあったと思います。今58歳ですが、50歳を過ぎたころから新たな展開のチャンスをうかがっていたところもあったものですから。
【森本】 和光証券時代には、新光投信との交流はありましたか。
【神保】 はい。当時は新和光投信という会社でしたが、運営している中小型ファンドの創設でも相談を受けることがありました。新光投信も和光証券と新日本証券が合併して新光証券になった際にできたのですが、新和光投信をベースにつくられている印象が強い会社ですね。
【森本】 2003年の池銀キャピタルでの投資事業の本格化と同時に、神保さんは移ってこられたわけですが、その投資事業で重視したポイントは何だったのですか。
【神保】 池田銀行には、戦略として三つの柱が掲げられています。一つはストックビジネス、つまり融資業務です。そしてフロービジネス、保険、証券売買などの手数料収入業務ですね。もう一つが、インベストメント、要するに投資銀行業務です。池田銀行としては、銀行業務以外に投資業務を一つの柱に据えたいという意向があって、その一翼を担うものとして我々の池銀キャピタルが位置づけられています。連結親会社である池田銀行は、地域を基盤とする銀行ですから、その趣旨に沿った存在であることが第一前提になります。それともう一つ、ファンドを創設していますが、それぞれのファンドに創設目的が明記されていまして、その範囲を超えるわけにいかないということも原則になっています。池田銀行はもとより、多くの銀行がなぜ、投資銀行業務や手数料収入を求めるようになったかといいますと、旧来の融資業務だけでは、サービス提供に限界があるからだろうと思います。企業側の資金調達ニーズからすれば、融資業務だけでは対応できない時代になってきているのではないでしょうか。

産業構造の転換にどう取り組むのか

【森本】 大阪は製造業のウエートが高い地域ですね。
【神保】 はい。しかも、非常な勢いで空洞化が進んでいます。多くの企業が海外に出て行っていってしまっています。海外へ行かなくても、国内の他都市への流・転出があります。その際、進出先の海外での資金調達をどうするか、という問題が出てきます。たとえば海外に進出して生き残っていこうとしている製造業に、銀行がどう関わっていくのかを考えたとき、従来の地域銀行としての業務だけで本当に十分なサービスが提供できるのかという問題があるのではないでしょうか。そうした課題にどう応えるかは大きな宿題だと思います。その課題を克服する一環として、成長できる産業をどのように育成していくのか、そして、旧来の古いビジネスモデルで運営されている産業への支援として産業構造の転換にどう取り組むのか、ということに目を向けた投資業務が、銀行にとって重要になっているのではないかと思います。
【森本】 それは池田銀行の考え方でもあり、神保さんが意識されていることでもあるのですね。
【神保】 同じベクトルであることを願っています。それから、池銀キャピタルは大阪の企業にしか投資していないのですか、とよく聞かれるのですが、決してそんなことはありません。大阪の企業のお役に立ちたいといっても、企業の取引先は、大阪に限るわけでありません。池田銀行が地元と考えているのも実は大阪ではなく大阪と兵庫にまたがった阪神間といわれている地域です。大阪湾の沿岸部を中心に海外と接点を持つ企業が増えてきて、ビジネス自体がグローバル化しているわけですから、大阪だけをみていたのでは、地元の企業の役に立っていけるわけではないのですね。我々が目標にしているのは、産業構造の転換にどう関わっていけるのか、ということですから、基本的に、成長産業に対しては、積極的に取り組んでいきたいという考えです。したがって、投資する企業の本社の所在地はそれほど重要ではありません。現実に東京の企業にも投資していますし、海外の企業にも投資しています。
【森本】 現在ファンドはいくつあるのですか。
【神保】 現在運用しているファンドは7本あります。そのうち、「ニュービジネスファンド」と呼んでいるファンドが3号まであります。事業の成長発展を目的として、成長産業へ投資するものです。1号、2号がすでに投資終了しておりまして、現在稼動しているのが3号です。規模は、3億円、6億円、10億円と徐々に大きくなっています。このニュービジネスファンドではIPOを出口に想定しています。




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