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Vol.004 フューチャーベンチャーキャピタル株式会社 代表取締役社長 川分陽二第1話 創意工夫というエネルギー
コラム(1) パーソナル・データ(1)
自分は営業に向いているのだ
 新宿支店の次に移ったのが神田支店でした。新宿の業務は主に個人のお客様が中心の忙しい支店だったのですが、神田支店のほうは企業取引がメインでした。本当は外国為替など国際的な仕事をしたかったのですが、実際に配属されたのが、取引先課でした。
  神田支店の私の受け持ちエリアは、行内では枯れた土地といわれていたところです。どこの企業も長年の取引銀行が決まっていて、新規は取れないといわれていましたが、とにもかくにもやるしかないと考えました。そこでまず、担当エリアを回ってビルの看板や表札などをカメラで撮って記録したのです。それを銀行に持ち帰って、取引のない会社名や個人の自宅の名前をすべて調べ、新しいリストを作って一軒一軒回り始めたのです。
  そうすると意外に新規の契約が取れるのです。枯れた土地といわれて誰も手を出さなかっただけで、じつはお客様がいっぱいいたわけです。さらには、ある程度回っていくうちに営業のコツのようなものもわかってきました。相手の顔を見て、ここは押すべきか引くべきか、相手が何を望んでいるのかが表情やしぐさなどからわかってくるようにもなりました。そして、事業というのは営業が基本だと思えるようになってきました。さらには、その営業に自分は向いているのだ、と確信できるまでになりました。

創意工夫するは我にあり
 ところで、当時、会社と新しく取引が始まる段になると上司と一緒に出向くことになるわけですが、上司のなかには、ここでしゃべってはいけない、ここでそんなことを言ってはいけないというときにかぎって、逆にぺらぺらと話してしまう人がいました。世の中には営業センスがない人がいるものだな、ということがわかったのもその頃です。
  当時は教えられるだけではなく自分なりの工夫ができるようになっていました。先ほどお話しした独自の顧客見込みリストを作るのもそのひとつです。何か工夫をするというこの性格は、小さい頃から自分の中に備わっていたようです。じつは、3人兄弟の末っ子だったのですが、母が病気の時には代わりに家事を手伝ったりしていました。そんな時もどうすれば効率よく作業が終わるか、どうすれば時間が浮くかなどを考えながら手伝っていたのです。
  金融という仕事をもう一度見直すきっかけになったのが海外勤務での体験でした。住友銀行時代、1986年夏にアブダビ国立銀行へ2年間派遣されました。当時の日本の銀行だと土地などの担保があって初めて融資が実行されていたのですが、アブダビの国立銀行では、事業を見てその将来性に融資を行っていたのです。プロジェクトの可能性を判断して、それに融資を行うというプロジェクトファイナンスが基本だったのです。そこで金融機関というのは無担保でもお金を出せるものなのだということを理解できました。
(6月14日更新 第2話「時代の先を読む力」へつづく)



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