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第3話 第4話
Vol.004 フューチャーベンチャーキャピタル株式会社 代表取締役社長 川分陽二第2話 時代の先を読む力
コラム(2) パーソナル・データ(2)
この会社ならやりがいがありそうだ
 アブダビ国立銀行から日本に戻ってきたあと、住友銀行八重洲通支店の融資課に配属されることになりました。日本に戻りはしたものの、心の中ではもっともっと国際的な仕事がしたいと思っていました。海外でもやっていけるという自信もついていました。そんな折り、たまたま日本経済新聞に日本アセアン投資の求人広告を見つけたのです。
  なぜ日本アセアン投資を選んだのかといいますと、発展途上国の役に立つ仕事だと思ったからです。京都大学時代に国際政治学者の高坂正堯先生のゼミに所属し、卒論がアジアだったということも影響していたに違いありません。この会社ならやりがいがありそうだ、そう信じて決めたのです。
  当時の日本アセアン投資は半官半民の組織でした。私自身もそこでの業務がベンチャーキャピタルだと知っていて選んだわけでもありませんでした。実際当時の業務は正確な意味でいうとベンチャーキャピタルではなく、どちらかというとインベストメントカンパニーといったほうが正解かもしれません。

あわただしく始まった投資案件第1号
 日本アセアン投資の東京本社課長という役職で入社することになり、最初に手がけたのがKenkoという会社の仕事でした。ここはHOYAの親族の方が経営している会社で、カメラのフィルターや望遠鏡などを製造していたのですが、そのフィリピン現地法人を作るという案件でした。
  4月1日に入社して、同月の25日には社内で最終的な決済が降りる開発会議が開かれるというものでした。とにかくそれに間に合うようにということで、わが人生投資案件第1号はあわただしく始まってしまったのです。
  当時の日本アセアン投資は、純粋な意味でのベンチャーキャピタルではなかったと言いましたが、その後、徐々にベンチャーキャピタルへと脱皮していきました。そのきっかけとなったのが、社名を日本アジア投資に変えて、国内企業にも投資を始めたことですね。ちょうどその頃、私は大阪支店長を拝命して投資案件の発掘に当たるようになっていました。

ベンチャーキャピタルの醍醐味を知る
 当時私が力を入れていた案件に英会話教室のNOVAがありました。今や知らない人はいない会社ですが、その頃はまだまだこれからというような状態でした。でも決してつぶれるような会社ではなかったのです。なぜかというと、英会話の教室というのは前受金が常識となっている業界で、そのお金が回っている分、つぶれないわけです。NOVAはその前受金を使って積極的に広告宣伝を行うことで、事業をどんどん拡大させていくことができました。
  しかし、この案件についてはずいぶんと苦労をしました。本社からなかなかゴーサインが出なかったのです。何度も有望な会社だということを本社に説得して、ようやく投資の了承にこぎつけました。でもその頃にはもうNOVAのほうで、お金があまり必要ではない時期になっていたのです。結局おつきあいということで3,000万円ほど投資させていただいたのですが、あとからその投資は44倍になって返ってきたのでした。



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