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Front Interview
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第3話 第4話
Vol.005 株式会社 サンブリッジ 代表取締役社長 兼グループCEO アレン マイナー第2話 ビジネスの現場に飛び込む
コラム(2) パーソナル・データ(2)
自分は将来、起業するんだ
 今、米国で注目されているセールスフォース・ドットコムという会社があるのですが、その経営をしているマーク・ベニオフとは、実はオラクルの新規採用者に向けた説明会で出会った仲です。オラクルのソフトの使い方や、接待費の処理の仕方といったことを説明する場所だったのですが、たまたまマークが僕の隣に座っていたのです。彼の社員番号は1番違いの1963番でした。あとでわかったことですが、お互いに相手を「変わり者だな」と思っていました。
  マークの一番印象に残っているところは、若い頃から彼は「自分は将来、起業するんだ」と心に決めて行動していたことです。彼は成績優秀で、カリフォルニアならUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に行けるだけの学力があったにもかかわらず、USC(南カリフォルニア大学)を選んだのです。米国でもUCLAのほうが有名ですし、レベルも高かったのに、なぜUSCを選んだのかと尋ねたところ、1986年当時、起業経営を専攻にできる大学はUSCしかなかったからだと答えたことが、強く印象に残っています。
  今でこそ「米国人は大学を卒業すると、既存の会社に就職するよりは自らの起業を選ぶ」というイメージが定着していますが、当時はそんなことはまったくありませんでした。僕の周囲でもコンピュータ業界を選ぶならばIBMやヒューレットパッカードへ行きたいという人間が大半でしたから。コンピュータサイエンスを学ぶ優秀な研究者も「最もおもしろい研究ができるのはIBMだ」と言っているのが普通でしたから。ところがマークは「起業するんだ」と、大学までそのために決めていたのです。変わり者ですよね。

米国にいるかぎり本当のところは見えてこない
 オラクルの国際部に入って最初に就いた仕事は、オラクルのソフトを日本で販売することでした。当時の日本の代理店は、ディジタルコンピュータ(現・横河ディジタルコンピュータ)と、日進ソフトウェアで、僕の主な仕事は、この2社と協力をしてオラクルのソフトをコンピュータに載せて販売するための、技術的なサポートでした。ほかにも韓国に代理店を作ったばかりだったので、その技術サポート、さらには、東芝、NTTコミュニケーション事業部、およびヨーロッパのブルを担当していました。
  オラクルに入ってちょうど1年目に日本の代理店を変えるという話が持ち上がりました。日本での営業成績をもっと上げるため代理店をアシストに一本化することになったのです。そんなある日、上司と代理店がネゴシエーションをしている現場に居合わせたのですが、その時気が付いたのは、僕も上司も日本のマーケットを見てはいるけれども、日本の代理店が日々どういう苦労をしているのかをまったくわかっていなかったということです。
  オラクルの商品が売れなかったとき、代理店はいろいろ言い訳をしてきましたけれども、それは代理店の単なる営業努力が足りなかったからなのか、もしくは、商品に何か本質的な欠陥があるせいなのか、米国にいるかぎりは本当のところが見えてこないことに気づいたのです。ということであれば、たとえ代理店を変えても、このままならきっと1年後も2年後も「なぜ売れないんだろう」と、同じような会話をしていることになりかねないというわけです。




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