僕は1996年まで日本オラクルで働き、そのあとは米国本社に戻りました。そのころオラクル社は社員数4万人を超える大企業に成長していました。帰国後は、結婚して、長男が生まれて、と私生活にも大きな変化がありました。僕自身も、このまま米国で暮らしていくのかなと、漠然と思っていました。
米国オラクルでの仕事は、部長として、富士通とのビジネス関係を担当する仕事に就いていました。ところが、肝心の仕事がおもしろく感じられなくなっていたのです。オラクルの一部長としての仕事は、会社においては重責を果たすものではあったのですが、自分が関われる範囲が非常に狭くなっていたのです。つまり、自分がどんなに頑張っても、昔と違って会社全体に対する効果は、それほど大きくなくなっていたわけです。
ちょうどその1998年ごろから、インターネットの世界が大きく変わってきていました。インターネットが単なる個人や企業の情報を紹介するようなホームページの段階から、高度な情報テクノロジーが駆使された本格的な活用の時代に移ろうとしていく時期だったのです。日本もITの勃興期で、日本のインターネットビジネスもおもしろくなりそうだなと思って注目していました。そして、日本でビジネスをしたいなと考えるようになってきたのです。 |