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Vol.006 日本アジア投資株式会社 代表取締役社長  立岡登與次第1話 学問から商いへ
コラム(1) パーソナル・データ(1)
数学者から商人への変節
 父は郵便局に勤める公務員でした。私の田舎は、いわゆる一般企業に勤める人がほとんどいないようなところでした。ですから子供の頃、将来どんな職業に就くのかを考えるときにも、サラリーマンというのが想像できなかったのです。父も自分と同じような堅い仕事についてほしいという願いをもっていたようです。
  高校時代、奈良女子大学の名誉教授で世界的な数学者だった岡潔先生のエッセイを読み、いたく感動しました。そして、「将来は数学者になろう」と決めたのです。しかし、大学受験で浪人して少し迷いが出ました。就職のことを考えてみると数学科はまずいかなと思ったのです。現在なら数学科出身者はコンピュータ関係や保険会社、あるいは金融工学方面へと活躍する分野が広がっていますが、当時はまわりから「数学などで飯は食えないぞ」とか、「将来はせいぜい高校の先生ぐらいしかなれないぞ」など言われていましたから。
  そんなわけで専攻は数学に近いところで、就職に際しては数学科より少し有利に思えた理学部の物理学科にしました。ところが、入学するまでは自身の学力に自信があったのですが、実際同期の連中と机を並べてみて、レベルの違いを思い知らされました。このまま大学院に残って学者の道を目指すことはとても無理だと自覚したのです。それで数学者になるという夢はきっぱりあきらめて、就職の道を選びました。

近江商人のDNA目覚める
 就職にあたって、まず最初に考えたことは、「学問の世界がダメなら商売だ」ということでした。商売というか営業の世界へ進むことは、私の心の中では意外にすんなり受け入れられる発想だったのです。それは、生まれ育った町の影響が大きかったからです。私の故郷は滋賀県の南部、いわゆる近江商人発祥の地で、昔から学問よりも商売のほうが尊ばれてきた伝統があるのです。それに私の祖父も、背中に荷物を背負って熱心に行商をやっていた人ですから、商売は意外に身近に感じられるものだったのです。
  日立製作所に入社したとき、最初は研究所に配属になるという話でした。日立に入社する理系人材は、ほとんどが修士号や博士号を取っていてある程度の年齢に達した人たちが多くて、学部卒ですぐに入社してくる人は少なかったのです。だから研究も「若い人間が欲しい」という話があったからです。
  しかし、私にしてみればとんでもない話で、せっかく学問の道をあきらめて商売の道に進もうと決意したものを、また研究の道に逆戻りすることになりますからね。そこで、「学問はもうこりごりです。これからは人と楽しくやりたいのです」と無理をお願いして営業に回してもらったのです。そして配属されたのが国際事業部でした。この部署で各種プラントの海外輸出業務が仕事でした。どちらかというと総合商社のやる仕事に近いものでした。

起死回生の学習能力
 国際事業部に配属されてすぐに英語のテストがありました。新入社員の英語のレベルがどれぐらいのものなのかを調べるわけですね。筆記のほうはまったく問題なかったのですが、ヒアリングが全滅でした。ネイティブの人からインタビューされたのですが、一言もしゃべれませんでした。案の定、結果は最下位でした。
  英語講師の私に対する評価は、「彼は英語は知っている。でも話す訓練、聞く訓練ができていない」というものでした。講師からは「外国の映画を何度も繰り返し見て、話したり聞いたりするトレーニングをしなさい」とアドバイスされました。それから2年ぐらいは必死になって英語の勉強をしました。今では年間に10回以上は海外に出張に出ていますが、通訳を通さずに相手と話ができるようになっています。その時の勉強が役に立っているのでしょうね。



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