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Vol.006 日本アジア投資株式会社 代表取締役社長  立岡登與次第3話 一気通貫のベンチャーキャピタリスト
コラム(3) パーソナル・データ(3)
投資業務からファンド募集へ
 名古屋支店のあとは大阪支店の支店長を務め、そして、本社に戻ってきました。そこでそれまでの投資からファンド募集の業務をやることになったのです。ご存じの通りベンチャーキャピタルにとっては、投資先はもちろんですが、お金を出してくれる先も大変重要なのです。そこで業務推進本部に所属して毎日資金集めに回るようになりました。
  回る先は生保をはじめとする機関投資家で、良い投資先があればお金は出そうというスタンスでしたから、どれだけ良い投資先であるかをきっちりと説明することができれば、お金は集まってきました。
  とくに1994年1月にアジアのカントリーファンドが最高値を付けたりするなど、アジアブームでしたからね。これから成長するアジアに投資するというファンドなら買いたいという人はたくさんいる状況でした。ですから、アジアを舞台に仕事をしているというだけである程度の信頼を得ることができたのです。

次の経営者としての教育
 その次に取り組んだのが、公募増資でした。増資は通常は証券会社に頼むものですが、すべて自分たちでやろうではないかということで。ここでも、企業や機関投資家を回って「当社の株はどうですか」と勧めて歩いていきました。当時はまだ証券取引法がゆるやかだったからできたことでした。
  そして、1994(平成6)年に行った公募増資では270億円を集めることができました。これは当時同じように増資をしていた企業の中でも最高額だったと思います。しかも、証券会社に頼んでいれば少なくとも7億円近くは手数料で差し引かれていたものが、ゼロですみましたからね。
  現在の弊社の株主資本は約500億円ですが、そのうちの半分はこのとき(1994年)の増資で集めたものです。
  そのあと、弊社は1996年に株式公開をしたのですが、その際には常務として公開業務を担当しました。今から考えてみると、営業をやり、資金集めをやり、そして経営計画の立案と、会社全体のことが見えてくる仕事をやってきたわけです。ある種の路線を引かれていたというか、次の経営者としての教育をされていたのかもしれません。




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