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Vol.008 エル・ピー・エル日本証券株式会社 代表取締役社長 米田 隆第1話 独立を夢から目標へ
コラム(1) パーソナル・データ(1)
米国では優秀な人ほど独立する
 この米国留学の時、強く感じたのは、「米国では優秀な人ほど独立する」ということでした。私自身、興銀に入社したときには将来独立したいと漠然とは考えていました。しかし留学したことで、将来の独立が単なる夢から具体的な目標に変わった気がします。
 留学を終えて日本に戻ってからは国際営業第2部に配属されました。在日外資系企業を対象とした新規の営業などもやっていましたが、たとえば貸付有価証券を使ったインテル本社への6,000万ドルの融資とか、国内では初となるシモンズベッドのLBOにも関わりました。シモンズベッドのLBOでは、プルデンシャル・アジアの方々と一緒になって仕事を進めましたが、いわゆる外資系金融機関の調査の仕方、そのノウハウには目を見張りました。その仕事を通してファイナンシャル分析の重要性というのを改めて痛感させられたのです。

調査や審査の基礎を叩き込まれる
 当時の興銀の留学経験者への人事は、1.5軸人事というものが基本で、留学後国内に戻ってから1〜2部門を経験してから、海外の拠点に出すのがルールでした。私も海外へ出される予定はあったのですが、無理を言って本店審査部に移動させて貰うことにしました。当時の興銀には、外部のコンサルタントを使わない、何でも自分たちで調査するというポリシーがあり、産業調査部と並び、本店審査部は国内有数のシンクタンク的存在でもありました。そこでの仕事を希望したわけです。私自身、調査という根を詰めるような仕事というのは若い間、体力のある間にやったほうが良いだろうという思いもありましたから。
  審査部に入って最初の仕事は、ある大手国内配合飼料企業の体力審査でした。ちょうど牛肉の自由化が決まり、当然配合飼料業界にも大きな影響があると考えられていた頃です。企業の本格的審査というのは帳簿をめくるだけで済むものではなく、対象企業の工場について北海道から九州まで全国を回り、実際に現場を見て、関係者へのインタビューなどもこなしました。この実地調査を通じ、興銀マンとしての調査や審査の基礎を徹底的に叩き込まれました。興銀でそういうクラッシックな育てられ方をされたのは私たちが最後の世代だったかもしれません。
(10月11日更新 第2話「先見性と持続力」へつづく)  



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