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Front Interview
第1話 第2話
第3話 第4話
Vol.008 エル・ピー・エル日本証券株式会社 代表取締役社長 米田 隆第2話 先見性と持続力
コラム(2) パーソナル・データ(2)
新しい方向性やビジネスの模索
 私が興銀に在籍していた当時は、銀行業界が非常な焦りを感じている時期でもありました。企業がエクイティ(新株発行による資金調達)で資金を調達し、借入金を次々と返済していくという流れが本格的になっていたからです。とくにこの動きは銀行の中でも、長期固定金利での貸し付けを行っていた「長信銀」にとっては大きな打撃でした。そのまま何もしなければ先細りになっていくのは目に見えているわけですから。
 興銀でも様々な新しい方向性やビジネスを模索していました。たとえば優良な同族企業などに積極的に営業をかけていく、あるいは制度が許せば本格的なインベストメントバンクに脱皮することも考えていたと思います。
  私は審査部にいて、営業や総合企画部から回ってくる案件について、調査や分析をしていましたが、そんな仕事をしていた1989年6月のことだったと思います。英国の経済誌『エコノミスト』にインターナショナル・プライベートバンキングの特集記事を見つけたのです。欧米では富裕層向けの金融サービスが盛んであるという内容の特集でした。  

プライベートバンキング推進委員会
 私はこの記事を読んで「興銀がこれから手がけるべき金融ビジネスは、欧米流のプライベートバンキングである」と思ったのです。当時社内に、興銀の債券を買ってくれる顧客への営業戦略などを練っている個人営業委員会という部署があったのですが、そこに「プライベートバンキングは、これからの興銀の業務の柱になるはずだ。そのためにも基本的な調査をしたい」と提案したのです。結局はそれが認められて、調査のために3週間ほど欧米各国を回ることになりました。
この時の調査を元にして1989年11月に『欧米プライベートバンキング調査』というレポートを書きました。これがきっかけとなり、1990年2月には行内にプライベートバンキング推進部が組織され、私も新設の部の国際業務担当者として配属されることになりました。
  私が熱心に提案したプライベートバンキングに興味を持ち、積極的にやろうとおっしゃっていただいたのは個人営業委員会の杉谷委員長であり、また当時総合企画部担当の常務でのちに興銀頭取になられた西村正雄さんでした。そしてこれが私にとっての興銀における最後の仕事になったのです。  

新しい方向性やビジネスの模索
 興銀が肝いりで始めたプライベートバンキング業務ですが、その結果は不幸なものに終わってしまいました。プライベートバンキングというのは、ちゃんとした企業のオーナーなどの富裕層を相手にするものだし、実際にそのようにしていれば興銀の新しい柱に成り得る事業でした。しかし興銀は、のちに詐欺で逮捕されることになる料亭の女将、尾上縫事件に関わってしまったのです。あの事件の影響というのはとてつもなく大きなものでした。
  興銀のイメージが傷ついたというだけではありません。興銀全体が「我々にプライベートバンキングをやりおおせるノウハウなどないのだ」と思い込みを持ち、萎縮をしてしまったのです。そして興銀はプライベートバンキング業務から早々に撤退してしまいました。私は直接あの事件に関わったわけではありませんが、その経緯を見ていただけに、とても残念でした。今もプライベートバンキング業務に進出するという当時の判断は間違っていなかったと思っています。




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