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Vol.008 エル・ピー・エル日本証券株式会社 代表取締役社長 米田 隆第3話 艱難、汝を玉にす
コラム(3) パーソナル・データ(3)
辛酸をなめた30代後半
 興銀を退職して立ち上げたのが、財務コンサルタント会社のグローバル・リンク・アソシエイツでした。意気揚々と独立はしたものの、それからが実は大変でした。創業したのが1992年で、ちょうどバブル崩壊にぶつかってしまったわけです。ご存じの通り、それから日本経済はとんでもない停滞期に入ってしまいました。そんな最悪の環境の時に会社を始めてしまったわけですから、苦労するのも当たり前ですね。あの時代は、どんなに良いコンセプトで、どんなドリームチームを作って会社を始めたとしても苦労したと思います。創業してからしばらく、30代後半は本当に辛酸をなめました。
  独立して思い知らされたのは、「グローバル・リンク」の名刺を出しても相手にされないという現実でした。興銀の名刺を出していた頃には、誰でも「ああ、存じ上げていますよ。上司の誰々さんはお元気ですか」という具合に、営業をしてもすんなり入っていけました。ところが「グローバル・リンク」の名刺では怪訝な表情をされるだけで、まったく相手にされないのです。
  しかし半年もすると、こちらも開き直れたのか、相手が知らないなら逆にPRのチャンスだと前向きに考えるようにしました。名刺を出して、相手に聞かれる前に「ご存じないと思いますよ。先日、私が作ったばかりの会社ですから」と言うようになっていました。

自分の1時間には固定費がある
 こうした営業を続けていく中で、「パーソナルブランドの確立」ということを強く自覚するようになりました。独立したり起業する人は、それまでどんな有名な会社に勤めていたとしても、そのバッヂをはずさなければならない、そのコーポレートブランドを使うことはできないわけです。私は興銀というコーポレートブランドの代わりになるもの、つまり自分自身の魅力を高めること、パーソナルブランドを確立しようと努力するようになりました。
  経営者になってからは行動や意識、すべてが変わりました。とくに強く意識するようになったのは「自分の1時間の裏には固定費がある」ということでした。給料を貰う立場なら、固定費の重みなど考えずにある程度好きに仕事ができる部分があります。しかし経営者となると、好きなことだけに時間をかけるというわけにはいかないのです。
  それに読書量も増えました。また興味のあるセミナーや勉強会にも積極的に参加するようになりました。常に自分を磨いていなければならないですからね。もちろん活字の情報だけで満足してはいけません。行為者にならないと本当の情報というものは入ってこないということも知るべきだと思います。




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