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Vol.009 エス・アイ・ピー株式会社 取締役会長 齋藤 篤第1話 青年よ大志を抱け
コラム(1) パーソナル・データ(1)
大人は何も教えてくれなかった
 父は札幌で女学校の数学教師をしていました。父の影響からか、昔から本を読んだり勉強することが大好きな子供だったと思います。中学校(旧制)は札幌一中(現札幌南高校)に進みましたが、当時はちょうど太平洋戦争まっただ中。したがってこの頃は、将来どんな職業に就きたいかなどと考えるようなことはなく、「兵隊になって戦争に行って死ぬんだろう」と漠然と考えていました。せいぜい考えたことといえば「兵隊でも一番偉い大将になりたい」という程度でした。これは同世代なら皆同じようなものだったと思います。
  ところが中学2年の時、終戦になってしまったわけです。それから時代ががらりと変わりました。まず学校へ行くと、米軍の指導で教科書の国粋主義的な表現を墨で塗りつぶすことから始まりました。この墨塗りをすると教科書のほとんどが塗りつぶされて、読むところがまったく残っていないという状態になりました。
  教科書を塗りつぶしたあとは、教師や大人は何も教えてくれなくなりました。学校へ行っても何もすることがなくなってしまったのです。私は仕方がないので父親の書棚にあった数学の専門書を読んだりしていました。幾何や微分積分の問題を、何かパズルを解くような気分でやっていたのを覚えています。

暮らしは貧しくとも精神的には贅沢な時代
 もちろん数学の本ばかりを読んでいたわけではありません。そのうち小説も読むようになりました。たとえばロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』を読んでみると、これがおもしろくてフランス文学に熱中しました。カミュの諸作品やロジェ・マルタン・デュ・ガールの『チボー家の人々』など、フランス文学の大作を片っ端から読みあさりました。その次はトルストイなどロシア文学に凝りました。
  戦後しばらくすると今度は洪水のように情報が溢れ出してきました。いろいろな本が自由に出版できるようになったのです。その頃になると歴史書や哲学書、思想史関連の本から、戦時中は見ることのできなかったマルクス経済学の本まで、ともかく手当たり次第に読みました。そうした本を読んで仲間たちと議論をするということもやりました。若い頃から本を通して世界を見たり、考えたりしていました。暮らしは貧しくとも、精神的には贅沢な時代だったのかもしれません。
  大学は北海道大学の法学部に進学しました。学生時代には仲間の中から共産主義運動に走るものが少なからず出てきました。私がそちらの道に走らなかったのは、情報の洪水の中で「あれも良いが、これも良い」と迷って、結局どれが良いのかはっきりとは決められなかったからです。いや、優柔不断だったということかもしれません。




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