ファンドはできたものの日本の投資家の反応はさっぱりでした。そこで海外の投資家にも話をしようと、当時野村證券から出向していた経理部長の朝比奈孝治さんと一緒になって、外国銀行の日本支店を通じて出資をお願いしてまわりました。幸いフランスのロスチャイルドが最初に加入してくれ、続けてヨーロッパやロンドンのマーチャントバンクが何社か投資してくれることが決まりました。彼らは単に投資するだけではなく、ハンズオンなどのやり方にも様々な注文や意見をくれました。
私たちの最初の意気込みは「成長初期の急成長が期待される会社を相手に、ハンズオンによって成長を促進し付加価値をつけていく。それによってファンドの運用成績を高める」というものでした。志は高かったのですが、実際にはハンズオンを行う人材の不足、あるいは投資インフラの違いなど様々な壁にぶつかり、なかなか顧客の要望に応えることができず歯がゆい思いもしました。このため実際には人材を育てながらベンチャーへの投資を行うという戦略でやっていかざるをえなかったのです。
JAFCO時代に投資を行った企業のひとつに日本電産があります。当時の日本電産は社員わずか20人ほどの町工場でした。しかし社長の永守(重信)さんは今後はエレクトロニクスの時代だと信じていた。その信念を持って小型モーターに特化し20億円の売上げを、あっという間に米国、ドイツなどに支店を作り、現在では5,000億円を超えるまでに引き上げてしまいました。極端なことを言うようですが、ベンチャーキャピタルにとっては、こうした会社がひとつあれば、残りの5つの会社がつぶれても十分に利益が上がると体で覚えることになったのは、この日本電産への投資を経験してからでした。 |