大学を卒業して野村證券に入社したのはまったくの偶然でした。当時、北海道では大学を卒業しても、あまり良い就職先がありませんでした。道内なら公務員になるか教師になるか、民間企業に行くなら本州に行くしかないという状況でした。幸い私は公務員の上級試験に合格していましたから、その面接を受けようと東京に出ることになったのです。本来ならどこかの官庁にでも勤めていたというわけです。
しかし、そうはならなかった。実は、北海道から東京の官庁の面接を受けるために上京しても交通費が出なかったのです。ところが民間企業の試験を受けるというなら交通費を出してもらえたのです。それで私も民間企業を受けて、東京への交通費を少しでも浮かそうと考えました。たまたま試験日の都合がよかったのが野村證券であったので、受験してみることにしたのです。
野村證券の面接を受けた時、大学の事務官から「大学の先輩には挨拶をしておきたまえ」と言われました。それで挨拶に行ったのが、今原(禎治・現みらい証券名誉会長)さんだったというわけです。今原さんというのは、戦後にできた北大法文学部の第2期生であり、北大から野村證券に入った最初の人でした。
当時、野村證券の社長だった奥村(綱雄)さんは、「野村證券はロスチャイルドのようなマーチャントバンクを目指すのだ」と盛んに言っていまして、今原さんからもそうした壮大な構想を聞かされました。さらに私が「他には公務員を受けています」と話したところ、「公務員など男子一生の仕事ではない」と強く説得されてしまったのです。北海道を出発する前は国家公務員になると考えていた私が、野村證券に入った背景には、そんな経緯があったのです。 |