野村證券に入社して10年目には本社連絡部に勤務していました。この当時の一番の思い出が、昭和40(1965)年、山一証券に対する日銀特融です。当時、証券恐慌の影響から投資信託は全て額面割れするという状態になっていまして、この対応に大変苦労したことを覚えています。
その後、投資信託部に配属されました。投信部にいた頃にはOECD加盟国間の投資信託の自由化に対応して日本国内でもOECD24カ国からの投信を輸入して販売しようという声が上がりました。そのための業界ルールを作るという仕事にも参画しました。
当時は野村證券自身が海外展開に積極的な時期で、投信を輸入するだけでなく現地法人を作り海外で投資信託を運用しようということになりました。そして私がそのための調査を行うことになったのです。その時知ったのが海外での「信託」の法的位置づけでした。まず信託制度の母国であるイギリスでは「信託法」があり、それに沿って投資信託が行われていました。イギリスの制度が導入された米国では、「投資会社法」という法律の枠組みがあり、投資信託を行う会社の行動を厳しく規制していました。一方「信託」という概念そのものがなかったヨーロッパ大陸の国々では、組合を作って持ち分を共有するという形で実質的な投資信託を行っていたのです。
この時の調査では、各国のそうした実態を理解することができました。またこのプロジェクトでは、弁護士の松本啓二さんからも指導をいただき、米国にメリルリンチとの合弁である「ファンドアメリカ」を、ルクセンブルグにはソシエテ・ジェネラルとドイチェバンクなどと合弁で「ファンドヨーロッパ」を設立することができました。 |