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Vol.009 エス・アイ・ピー株式会社 取締役会長 齋藤 篤第3話 ベンチャーキャピタル史を歩む
コラム(3) パーソナル・データ(3)
JAICで知った英国式経営
 1987年、JAFCOは公開会社になりました。会社の建て直しがすめば私の仕事は終わり、これで野村證券に戻れるものだとばかり思っていました。しかしそうはいきませんでした。1987年という年は日本が貿易黒字を溜め込み、それが国際的な問題となった年でもありました。当時の竹下登総理はこの黒字を世界の国々に環流しようと決断したのです。その一環として経済同友会が設立したのが日本アセアン投資(現日本アジア投資・JAIC)でした。同友会ではこの会社を使って20億ドル分の黒字をアセアン諸国の企業へ直接金融方式で環流しようと考えたわけです。この会社の経営を頼まれたのが今原さんで、私もまた今原さんとともにJAICへ転籍することになったのです。
  JAICでは、発展途上国にある会社への投資がメインの仕事になりました。この時に驚いたことがあります。あるマレーシア企業の財務諸表を見ると日本の中小企業など比べものにならない程しっかりと作られています。いぶかしく思い「これは本当の数字か」と聞くと、「失礼なことを言うな」という反応が返ってきたわけです。じつはマレーシアをはじめ旧英国植民地というのは、経営者が本国にいたまま会社の状態を把握できるように財務会計や監査が発達したらしいのです。
  私はJAFCO時代に、企業には納税申告のための税務会計はあっても、財務会計がないということを嫌というほど思い知らされた経験があります。たとえば提出される数字と実際の数字が違うということが頻発するわけです。その対策として投資を申し込んできた企業に対して、公認会計士による簡易調査を導入せざるを得なくなりました。そしてこの簡易調査を行うようになってからは投資した企業で倒産するところが激減し、ファンドの成績は急上昇しました。当時設定したファンドは、今になってもJAFCO全体でもかなり上位の成績となっています。

そして、エス・アイ・ピーへ
 このJAICも1996年には公開会社になりました。私は、野村證券の田淵社長・今原さんの勧めで今度はCSKベンチャーキャピタルの副社長になりました。この会社は当時CSKの会長だった大川(功・故人)さんが設立したもので、情報産業・ニュービジネスに対して、初期の段階から投資を行うというまさに米国型のベンチャーキャピタルでした。
  しかし、設立後まもなく大川さんが病気になり、CSKで後継体制をどうするかが課題になりました。CSKベンチャーキャピタルのほうもその影響を受け、ベンチャーキャピタルの経営方針に変化がおこってきました。そのため私もこの会社から身を引くことを決めたのです。
  このCSKベンチャーキャピタルから身を引き、次に設立したのが現在の会社エス・アイ・ピーです。
(11月22日更新 第4話「ベンチャーキャピタルの産業化」へつづく)  



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