生まれは東京、育ちは神奈川の葉山です。日本橋馬喰町に生を受け、親戚もみな東京に集まっていました。だから、田舎というものがないのです。葉山で育ったというのは、戦争で焼け出されて父の別荘があり疎開していたからです。昭和20年のことです。ですから中学は湘南中学(現・神奈川県立湘南高校)で、大学(学習院大学)に入学して東京に戻るまで、葉山で暮らしていました。
湘南中学の入学試験の面接で、「志望は海軍士官です」と答えたところ、先生から「いやになるね。海軍士官や陸軍士官ばかりで。たまには実業家という子はいないのかね」と言われました。そのときから、頭の片隅に“実業家”という言葉がしっかりとこびりついて、「将来は実業家になりたいな」「実業家になるんだろうな」と考えていました。
しかし自分が憧れる実業家像、あるいはモデルになる実業家というものが具体的にあったかというとそうでもなかったのです。当時は戦争を挟んで価値観が大転換してしまった時代です。財閥解体などもあり、事業家としてあこがれとなるべき人々が表舞台から消えてしまっていました。それに、戦後次々と現れた企業家も、それほど頭角を現してはいなかったのです。なので実業家といって思い浮かぶのは、ずっと前の世代の人たちで、たとえば岩崎弥太郎とか安田善次郎といったような人たちでした。
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