父の会社だからといって私が自由にできたかといえば、そうはいきませんでした。男ばかりの5人兄弟でしたが、兄三人も、岡永で働いていました。末弟の私は、先輩である兄たちに付いて仕事はしっかり覚え込んでいくという具合でした。
さて、仕事が終わってから家に帰って父親の前で食事となるわけです。そして、晩酌のおつきあいをするのですが、そのうち父の説教が始まります。「お前の仕事はなってない」と。それが毎日続きました。酒の運搬の仕事を2年ほどやった頃に、ようやく父から「そろそろ営業の仕事をやってみろ」といわれて、外回りに出るようになりました。
営業の仕事を覚えてゆくにつれてわかってきたことは、「酒問屋とは割に合わない仕事だな」ということでした。取引先というのは小売店や二次問屋でしたが、納めても手形ばかりで、その場でキャッシュで支払われるということはありませんでした。お互いの間で決まっている取引上のルール、商習慣というものがあり、お酒を売って30日後に代金を支払ってもらえるのが普通でした。 |